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ともかく楽だ。隣と大体同じにやって、何か難しいことがあったら県や国に責任転嫁して、よその市町村より少しよくやっていればいいのだから。それが、違いを出せ。それぞれやれ。国は何も言わない。手を放すということになったら大変だ。死ぬ思いだ。分権は地獄だ」などと言う人もいます。

私は、その気持ちはわかります。確かに今まで明治以来130年、とっぷりぬるま湯につかってきたのです。私も市長になったとき、最初に市長の任務というのを見て、148条、市長は横手市のことをやる。プラス法律で決められた国の事務云々。それが151条になったら、国の機関としてやる仕事については主務大臣及び都道府県知事の指揮監督を受ける。これでは全く私に権限を与えるというのはうそではないか。151条の2を見ると、もし指揮監督に従わないときには裁判にかけて罷免することができると。選挙運動をして頑張って、市民のおかげで119票差で当選した私が、好むと好まざるにかかわらず、国の仕事を自分の考えでやったときは罷免されるのです。民主主義の時代にそんな権限があるのかと、私はそのとき本当に裁判しなければいけないと思いましたが、それよりも市長になったのがうれしくて、つい忘れてしまいました。そして、この道路は県道でやるとさっぱりできないから国道昇格になどと、国にすがって一生懸命運動した私自身も反省すべきですが、制度がそうでしたから、やむを得ないところがあります。

そういうことで、今まではぬるま湯につかった働きをしていればよかったのが、今度は厳しい分権社会ということになるわけですから、どっぷりつかったぬるま湯から出ていって、自分の頭で判断しなければいけない。自己決定、自己責任という厳しい分権のあらしを受けなければいけない。したがって、その助役さんが言うのは案外正しいかもしれませんが、まだぬるま湯につかっていたいと言っても、矢は弦を離れてしまいましたから、もうだめです。嫌だ嫌だと言うよりも、やはり覚悟を決めて、むしろ積極的に前向きに厳しい分権の風に向かって立ち向かっていかなければいけない段階に来ています。「分権は嫌だよ」などと言って批評している段階ではないのです。まず、そのものを勉強して、それに対応できるように体質改善、意識改革をしていかなければならないわけです。

 

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そこで、私は皆さんにどう話したらいいか、いろいろ考えましたが、ふっと気がついたのが、3つの捨てろ、3つの作れです。「捨てよう!3つの根性」「作ろう!3つの新しい能力」ということを考えつきましたので、お話をしたいと思います。

まず、「捨てよう!3つの根性」ですが、何回もお話ししたとおり、我々の中には根深い家来根性というか、長年培われた根性があります。その1つは、お伺い根性です。ここで言う根性とは、いわゆる気持ちというか、全体の空気のことです。議会で質問があったり難しいことがあると、「ちょっと待ってください」と言って、すぐ県あるいは国に聞きます。そういうお伺い根性は捨てるべきです。自分たちで討議して、六法全書を持ってきたりいろいろ勉強して、間違ってもいいから、これはこうじゃないかと言う空気、根性が大事ですが、やはり長年の習慣で何にも見ずにすぐ聞く。最近は、建設省や自治省の人と仲良くなってコネができているから、すぐ電話で「どこどこのだれです。この前は大変ご馳走になって」という話から始まって、「それはどうですか」「それはこうしたほうがいい」というふうに、コネのある者が幅をきかせて、それを水戸黄門の印籠みたいに持ってみんなにしゃべると、みんなは「ははあ、恐れ入りました」となる。それでは地方自治体の考える力がなくなります。まずお伺い根性を捨てろということです。

 

 

 

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