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みんな始末に関わってくる事なんですが、まず、美食を慎め、うまいもんばかり食ったらあかん。ちょっと言いにくいんですが、淫乱を慎めと。あんまり淫乱な奴はあかんと。お金は残らんということですね。この辺から言いにくいんですが、女房・子供に贅沢させたらあかん。子供に習い事なんかさせるなとかね。段々せこくなっていってね。神社やお寺にお参りしたらあかん。賽銭入れますからね。相撲のひいきしたらあかん。芸者遊びしたらあかん。たばこ吸うたらあかん。いろいろとあるんですね。
これ考えたら、全部「始末」なんですね。つまり50両のうち10両というのは20%。大きなウェイトですね。だから「始末」がいかに美徳であったかというのは、江戸時代の、いわば浮かれたね、こわいもの知らずの世の中で、大阪人は自由気ままに浮かれて生きているんだけど、それを戒める、浮かれていたらあかんよ。そんなことしとったらあかんよ。というのがそれぞれが心の中に持っていた「始末」という美徳だったと思うんです。

 

消費が美徳?

それが今はね、つい数年前まで、使い捨て使い捨て、消費は美徳なんて言われるコピーがあったりして、皆さんどんどん使い捨て、時計やカメラも何でも使い捨てだったんですね。本当にカメラを使い捨てとか、時計の使い捨てとか、世界さがしてもそういう国はあまりないんじゃないかな。テレビでもまだ使えるのが道路にほってある。自転車は捨ててある。例を出して失礼ですけど、東南アジアから来る人達は皆、日本へ行けば道路端に宝物がいっぱい落っているって言うそうですね。その宝物って言うのは、大型粗大ゴミなんかの時に、テレビとかソファーとかベッドとか、どっこも痛んでないようなものを平気で捨ててある。日本へ行けば道路端に宝物がいっぱい落ちているぞってどんどん来るってこと聞いた事があるんですが、それが間違いだとようやく気づいて、今我々も「始末」というか、省エネという、そういうことに神経を使うようになったんです。私の家内ね、割り合いおおらかというか、誰もおらん部屋でも平気で電気つけてるんです。テレビも誰もいない時にずっとついているんです。私はそれが気になるんですね。私2階で仕事してるんやけど、下におったはずの家内が2階に上がってきた気配がするんです。
そうすると、あれ、下の電気消してきよったかな?テレビ切りよったかな?と気になるんです。仕事を止めて、1階に下りていくと案の定つけたまんまなんです。テレビはつけたまんま、廊下も電気つけたまんまで、いちいち消して回るんですけどね、そうすると、「あんた、こせやわあ。」と言いよるんです。こせでけっこうと思うんです。本当に偉そうに言うんじゃなくて、これは大事な事でね。ちょっとした心づかいが、どれだけ電気代の節約になるか。積み重なれば大きなことですから。
私が気にいらないのは、朝、例えば湯沸かし器をつけますよね。だいたい家内なんか寝るまでつけっ放しなんです。私、家でおるときは、家内が使い終った後には元切るんです。そうするとね、「今ついてたのにまた切ってる!」って文句言いよるんです。文句言いながら又つけてます。昼頃又使いよりますよね。終わったころに、僕又こそっと切っとく。3回か4回切るんです。私が家におるとき、「あんた家におるとかなわんわ〜、うるそうて〜」というのと、もうひとつこの頃よく切るのが、トイレでいま湯の出るのがありますよね。

 

 

 

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