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焼却するについては重油なり、電力なりがたくさん消費されるということでね。マナーが悪くてポイ捨てをそこらにやるということは、それは環境破壊に自分が加担しているという事になります。回り回ってのことのようですけどマナーをまず守る、マナーを大切にすることはひいてはそれは地球環境に非常に貢献するということになっていきますので、大阪人のマナーのルーツのようなものをちょっとお話したいと思うんですが。今日の大阪人のマナーのことなんですが、私悪いとは思わないんですが、ちょっと荒っぽいというか、その辺のルーツというのは、どこから来ているのか。これは御存じのように、江戸時代、大阪は商人の町、一般市民の町で、東京は、幕藩体制に抑えられて、江戸の町というのは侍たちがあふれていたんです。ある統計によりますと、江戸は2人に1人くらい、少なくとも3人に1人くらい侍がいたといいます。参勤交代で侍たちが全国から集まってくるんです。それがもう江戸の町でうろうろしていますから、一番大きな統計で2人に1人が侍じゃなかったかな。
少なくとも3人に1人くらい侍がいたという社会では、当時士農工商という身分制度がありましたから、侍が一番上でいばってます。道路を歩いている侍の前を横切っても切り捨てごめんといわれた時代なんですね。実際には切り捨てごめんといったことはあんまりなかったそうですが、そういうことをすれば当時でも大変な社会問題になっていたと思うんですが、一応侍は刀をさしています。無礼なことがあればその場で切っても文句は言われなかったという縦社会、士農工商の身分制度が厳然と守られている。それが江戸の町だったんですね。だから町民たちは気の毒に、本当におびえたように大手を振って道路を歩けない。侍が真ん中の方を、刀さしていばって歩く、一般商人・町人たちは道路の端の方をこそこそこそっと歩くような状態とみてもよかったんじゃないかなと思うんです。2人に1人、3人に1人の侍がおるんですから。こわいこわいような町の状態だったと思います。対する大阪はどうかと言いますと、その頃の大阪は、例えば元禄時代ですね。ちょうど真ん中ぐらいを取りますと、大阪の人口は34万人ぐらいだったそうです。そのうち、ある統計を見ますとね。侍が500人くらい。もう少し多くても、1000人はおらなかったんじゃないかな。とすると、34万人の一般商人・町人と500人の侍と、計算しますと700対1なんです。700人の一般商人・町人の中に侍一人だけ。江戸と全然違う。うかつに刀さして町の中にいたら、一般の人たちがあふれているんですが、あんなところに刀さした奴がおるぞと珍しがられるような。むしろ侍の方がおびえていたんじゃないかと思うんです。言わば横一列で皆が一緒なんです。だから江戸の町と町の形態が違うんです。そういう町の様子ですから、絶対的に一般商人・町人の方が強い。

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