そういうところから起こして行くんですけどそれが途中で変わって行くんですよね。
よく作家の方としゃべるのは「これ、こうなるからさ」と私なんかにしゃべるんですがそうなったためしがない。であとでとんでもないことになってしまう。「なんでこんなセットなの」と言われることもあります。こちらはいくら遅くても上演日の2・3週間前には道具を発注しなきゃだめですからそういうふうなことになりますとできあがったものとずれが生じてくる。何とか作家の方で早く出して解決してくれないかなあといつも思っています。演出家と作家が兼ねている場合はまだよくてそんなには、ずれない。演出と作と別な場合、「何で舞台美術がこんなふうになってしまうの?」という場合があります。
舞台美術を考えていく上で初め、オーソドックスに本を読んで考えていって1回絵を起こすんですよね。大まかな平面と、それを解体していって再構築する、そうすると自分でも納得するものができます。第1次プラン、第2次プランと行くなかで演出家なりと打ち合わせはあるわけです。そういうやり方でいくと質的にかなり高いものになっていくんじゃないかなって気がしています。
舞台美術というのは、こうやってああやって卜書きにあるものをやればいいと、いうふうなことが行われてたわけです。ここに家があって何畳間があってそれでいいよ、と作家も言います。そのとおりやった時にそれ自体が上演したときにいい方向に行っているかと思うと何かしら物足りないものがある。どういう状態がベストなのかなと考えますと、時間ですね。それに費やすといろんなとこが見えてくる。
よく日本の現代劇はつまんないといいます。そういう公演体系と言いますかそういうものが、俳優が育っていないとかいろいろいわれる、稽古期間の問題とか、そういうなかでどうしたいのかってことをはっきりさせないままスケジュール第1主義で演劇が行われていたんじゃないか、まだ可能性があるんじゃないかと楽天的に思っています。
スライドをこれから見せるんですけど、普通、プロデューサーから私に依頼がありまして進めて行くわけですが、もう全部決まっているんですね、場所とか。やるものによって場所選びが出来れば最高だなと思うんですけど、まず、そういうことはほとんどありません。で、いわゆる現状が、貸し小屋なもんですから先にまず押さえなきゃ上演できない。小屋を押さえてからものを選ぶという状態なんです。でそれだとこちら側から、演出家やスタッフでこうしたいねと思ってもなかなか具体化になっていかない。見ているお客さん自体もなんか物足りなさを感じる。そういうことが続いているような気がします。そういうところから時間をかければ全国で行われている演劇のレベルというか表現自体がかなり変わるんじゃないかなと思っています。
舞台美術は未完成な領域なんですけど最近若い人たちがかなりやりたがっているんですね。でも現実には勧めませんけど、私は。経済的に恐ろしい。美術というのはそういう意味では職能的仕事なのかアーティスチックな仕事なのか、まあ両方混じり合っているわけですけど、かなり状況が悪いと思います。最近ワークショップをやるんですが60代から高校生までいるんですけど、舞台美術に興味を持っている人というのはかなりいます。私はやりたいという人たちには「やめなさい」といっているんですけど、「どうしてもやりたかったらおやりなさい。知りませんよ」と突き放した言い方しかしません。ただなんか舞台に対して興味を持っている人たちが増えてるな、という実感はあります。
それはうれしいんですが、先ほどいったように表現行為を行うカンパニーとかから見るとちょっと伸びていっていない、いろんな条件によって作られ過ぎているということがあります。
最近は、公立文化施設で自主制作をする場合、具体的な仕込み期間、舞台に入って仕込んで初日までの時間が一般的な貸し小屋と比べるとかなり日にちがあり、これはすごくレベルを上げていると思います。モノを置いて、道具を置いて照明と演出を交えて作る世界でやっていきますと、3日目に本番とかじゃなくてせめて1週間あるといい。10日間というところもありますので、そういうとこで立ち上げたモノは質が上がっているなと思います。