ですからそういう意味ではこういった市民活動としてなにか舞台芸術を起こしていこうとしたときには、ミュージカルとかオペラですとか総合舞台芸術と呼ばれるようなかなり色々な人たちが参加できるたぐいのものを選んでやるといいのかなと思います。ただ、その時に僕らが思ったのはカラオケになっちゃいやだなと思ったんですね。カラオケは人が歌っているのを聞いていないですよね。早く自分の番が回ってこないかな、早く終わってくれないかなて言うことですよね。
みんなうまくなろうとする意識なんかないですよね。歌って気持ちよければいいやというのがカラオケですよね。たぶん文化会館でやる色々な事業がそのレベルで終わってしまうと申し訳ないのでもうちょっとやる以上はきっちりやろうと思っていまして新田の場合も1年半かけました。今、劇団四季のミュージカルを1本買うといくらでしょうか、500万ぐらいでしょうか。新田の町民ミュージカルは総予算で2500万ぐらいかかってます。要は指導者を呼んでこようということでプロの指導をやっている人、劇団四季を出た方々ですけれどもプロの役者としても活躍していたりとか、演出家として活躍している方とか振り付け師とか音楽指導とかそういう人を連れてきて1年半かけてみっちり稽古をやってもらいました。
そういう風にかなりハードルを高くするといいますかやる側が本気の姿勢を示すと主催者側、館の方がきちんとしたやり方をすると結構付いてきてくれるものだと思いました。中学生以上が参加できたんですけど、例えば中学校2年生の女の子がある振りがどうしてもできなかったんですね。そうするとアマチュアだったらまあいいかというところで妥協してしまうんですけど、振り付けの方はねちこくってその日1日の稽古がその子が踊れるようになるまでずっとやり続けたんですね。できるまでやる。すると終わった後の感動があるわけですね。やっぱりアマチュアの方々が活動していくというのはそういうことの積み重ねなんですね。そのミュージカルが実際に上演されてレベルとしてはアマチュアの方がやっているにしてはレベルが高い、ただ劇団四季のレベルから言ったらそりゃ全然低い。けれども緞帳が降りた後、舞台の中ではみんな手放しでわんわん泣いているんですね。それは自分がやり遂げた喜びがあるわけですよね。
そういう感動を味わうことが一番大事なんじゃないかな、その子がプロの役者になったりする必要はなくてその人が生き続けていくこれからの人生においてそういう経験を積んだということが大きなことじゃないかなと思いました。ですから、先程の話の流れから言いますと観賞型の事業ということももちろん無視は出来ないけれどもっともっと人々がこういった劇場で行われる活動に興味を持って参加をして感動を味わってもらうということをやっていかない限りは日本の文化というのはこれ以上発展していかない、むしろ衰退していってしまう気がします。
私自身が東京の出身なんですが成城学園という学校に学んだんですね。最近はタレントがいっぱい出てきているんで堀越に次ぐタレント養成学校みたいに思われているかも知れませんが、そうではなくてむしろ情操教育の場として小学校だけなんですけれども劇という授業があったり舞踊という授業があったり映画という授業があるんですね。カリキュラムの中に舞台芸術の科目が入ってきているんです。普通の公立の学校ですとせいぜい音楽だけですよね。そこに演劇とか入ってきて毎学期ごとにその発表会をやるわけです。で、うちの子供が小学校4年生になりましたが3年生から発表会にでるんですよ。そうすると各クラスごとに1つの作品を作るわけですがクラスが一丸になって作品作りをしていくわけです。
本番の1週間前に父兄に見せてくれる日があって私の家内が見に行くとぜんぜんお芝居になってなかっただそうです。でも、本番に僕が見に行ったら、もうちゃんとお芝居ができているんです。なぜかというと子供達の集中力もすごいんでしょうが先生が授業をほとんどつぶしちゃうんですね。国語の授業も算数の授業もお芝居をつくることにかけるんですね。そういうことが許される私立の学校だということなんですけど、その1週間算数の授業をやったり国語の授業をやったりするよりもはるかにいい教育じゃないかな、そこで1つのものをみんなで作り上げたということを知ること、がんばるということの大事さを覚えることの方がはるかに算数の問題を1問、2問、解くよりも大事なこと、そういう教育ができるとすばらしいことですしそういうことに対して舞台芸術が貢献できることというのはすごく大きいことではないかなと思ったりしいてます。