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その道を、小型のキャタピラー付き搬送車に薪を満載した人が下って来たので、私は驚いた。まさかこのような所で、山仕事の人に会うとは思ってもいなかったのだ。しかも、私が記憶している(昭和三十年ごろまで)山中からの木材の搬出は、馬に丸太を引かせる「ドンダ」または、本のレールの上を滑落させる「木馬(キウマ)」と呼ばれる搬出法だったのだが、現代の木馬はキャタピラー車であった。

山中の翁ならぬ現代の山人(やまびと)、中武福男氏とは、こうして出会った。この偶然に出会った人こそ、私が訪れる「中之又神楽」と「鹿倉(カクラ)祭り」の伝承者であり、九州山地に伝わる古式の鹿狩りを今に伝える人だったのである。

宮崎県木城町中之又地区は、椎葉山系を源流とし、米良山系を貫流する小丸川の中流域にある。小丸川は、数個のダムを擁する流域の長い川で、下流の石河内地区には武者小路実篤が開いた「新しき村」があり、さらに下流部にはかつて東都原(とうとばる)と呼ばれた持田古墳群がある。持田古墳群に隣接し、西都原古墳群がある。小丸川は、持田古墳群の真横を通って流れ下り、太平洋へと注ぐ。

中之又地区には七つの谷がある。その谷はそれぞれ、米良山系を源流とし、小丸川に注ぐのである。すなわち、七つの渓谷が集る所が中之又である。「マタ」とは、八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)の「マタ」であり、天八衛(アメノヤチマタ)の「マタ」であろう。谷の集まる所、または道の分かれる所などを古い時代は「マタ」と呼んだのだろう。椎葉の山々に源を発した小丸川は、中之又で米良山系の水を集めて一気に流量を増し、南へと向かうのである。

 

 

 

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