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東洋文庫蔵の画帖『観物画譜』(二百二十九点収録)など、所蔵が特定できる画帖の過半は、延広真治氏により『日本庶民文化史料集成第八巻 寄席・見世物』(三一書房 一九七六)で公刊紹介されたが、まだ未紹介のものが多い。また、無声は存命中から、画帖を売りにだしていたことが知られ、全体像はなかなかつかみにくい。無声旧蔵品には、しばしば特徴のある末筆の書き込みが見られるが、転変を経て、架蔵となった作品も何点かある。ここに生人形を描いた一点を紹介しておくこととしよう(図6])。恐らく、無声が目指していたのは、総合的な「見世物版画目録」の作成であり、この点では無声旧蔵品にとどまらず、種々のコレクションを博捜し、さらに範囲をひろげていくことが必要と考えている。

 

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朝倉無声旧蔵の生人形の図 歌川国芳画「当盛見立人形の内 かがみ山」大判錦絵二枚続き、安政二年・浅草興行、細工人は松本喜三郎。右上の関防脇に無声の手による書き込みがある

 

無声の仕事は知れば知るほど、スケールの大きさに打たれるが、ただ、扱い上で幾つか注意しなければならない点もある。まずひとつは「引用の正確さ」の問題である。無声は著作の全般を通じ、文芸・随筆・記録類からの抜き書きをおこなっている。その引用は、原典と照合すると、必ずしも正確でない場合がある。出典の幅と膨大な量を考えるなら、無理からぬところもあり、そのすべてを照合しろといわれたら誰もが尻込みしてしまうが今後はやはり留意すべき点であることは間違いない。

また、もうひとつは図版の問題である。少なくとも大正前期までは、木版制作の技術は今日と比べれば相当に得やすかった。そのため『此花』などでは、写真製版ではなく木版複製の図版が相当用いられている。ところがその際、手間を省いて文字彫りを省略する、図様を簡略化する、二枚続き錦絵の半分(一枚)だけを取りあげるといったことがおこなわれており、原図と異なる場合が多い。この種の図版は困ったことに『見世物研究』でも用いられている。それは場合によっては「架空の図」なのであり、大きな間違いを起こしかねない。白状すれば、筆者自身これで一度失敗したことがあるが、つい最近も、当該問題を含む、いろいろ誤りの多い近世史家の「論文」を目にしている。これまた無声の過失というより、後世の人間の責任だと思うが、ともかく、大いに留意すべき問題である。

筆者は、無声を敬愛してやまぬ人間であり、いつの日か無声の伝記が書けぬものかとさえ考えている。本当に凄い人物だと思う。上記のことも、そしてこれから述べることも、逆にそんな人間だからこそ指摘できるのだと、ご理解いただければと思う。

さて、こうした「偉人」が、社会的に「好人物」であったかどうかは、また別問題であった。かつて延広真治氏が、長命であった未亡人の朝倉はな氏へ電話をかけたところ、無声のことを「変人」の一語で片づけ、とりつく島もなかったことは既に報告されている。また、没後すぐ出た石川巌(耽奇郎)の追悼文などは、「渠は全く個人主義の権化ともいふべき人物で、而も個人主義の附物たる偏狭であった為めか交友間には兎角好感を与へなかった」云々と、とても追悼とは思えぬ調子である。研究への熱意ゆえの行き過ぎはあったようで、どうやら一時期の勤務先であった帝国図書館蔵書の名家蔵書印を切り取る行為に及んだらしく、少なくとも外骨は、その行為を唾棄すべきこととはっきり指摘している。

こうなると、もはや何ともいいがたいところだが、それだけ執念の「恐るべき研究」とついポジティブにとってしまう筆者は、やはり無声に少し甘いのかもしれない。ともかく、とんでもない人物であることだけは確かである。

 

 

 

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