近代サーカスの誕生そしてヌーヴォー・シルク……石井達朗
◎リングをまわる曲馬から近代サーカスが誕生◎
きらめくスパンコールと、馬糞の臭いが同居する世界。シーンと静まりかえるバランス芸と疾駆する馬の熱狂あり、地上を転げまわる道化師がいるかとおもえば、宙を舞う空中ブランコ乗りがいる。猛獣が威嚇するように吠えたかとおもうと、アシカが無防備に口を開ける。ファンタジックな芸があるかとおもうと、オートバイの金属音が炸裂する-サーカスとは、崇高と卑猥、地上と天上、人工と自然、失敗と成功、生と死……などの二元論をつつみこむ巨大なエンターテインメントである。それは、人類が生み出した例のない集団移動の見世物のシステムである。このサーカスに今、かつてない変化が現われつつある。
「サーカス」ということではなく、アクロバット・軽業・曲芸ということから見れば、これらは人間の歴史のかなり古い時代から行なわれていた形跡がある。紀元前何百年・何千年の古代ギリシャ・古代エジプトには、現在残る図絵などから推測するとすでに曲芸見世物が行なわれていたのではないかと推測できる。曲芸のウルトラ技では、世界のどこにも引けをとらない中国雑技も、その起源はギリシャやエジプトに劣らない。
ところが、われわれが「サーカス」と呼ぶところの娯楽の形態は意外と新しい。その出自は、一七七〇年頃、イギリスのフィリップ・アストレイが円形の馬場を作り、出馬を中心とした見世物を披露して人気を博したことにある。馬上で芸を見せるのに、馬が真っすぐ走っているよりはぐるぐる円を描いてまわっているほうが、遠心力で芸人の体が馬にぴったりくっついて芸がしやすい。また、なによりも観客にとって見やすい。アストレイはこの直径を四二フィートとした。これは一二・八メートル。以後、この直径の長さは世界中のサーカスに踏襲されている。リングの大きさが一定していたほうが、芸をやるほうにとっては便利である。アストレイは、このくらいの直径がちょうどいいと考えたのか。あるいは他の理由か。一説によると、これは、調教師がリングの中央に立って鞭を振るとき、鞭の長さを考えてのことだともいわれる。