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当然、座布団もブロンズで作らなければならないわけです。慶応にある福沢諭吉の銅像も座布団に座っている。しかし、銅像でも肖像画でも、そのうち直立し始める。ヨーロッパ人風に身振りを変えるのです。

なぜ銅像の話をしたかいいますと、銅像の時代は思ったほど長くはないんです。明治の半ばから戦前までです。今も銅像を作る人はいますけど、もはや町の中には建立されない。半世紀たらずの産物です。モニュメンタルなものを追い求めた時代は、逆に、仮設的で薄っぺらいと感じるものを毛嫌いした時代だったといえないでしょうか。

山口……座布団といえば、今でも福助足袋の福助さんは、座布団に座ってお辞儀をすることによって正当性を持っている。銅像というのは、動かなくて声が出ない見世物です。

 

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お濠端に立つ和気清麻呂像[東京大手町]

 

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座布団に坐る瓜生岩子像[東京・浅草寺]

 

そして木下さんが以前に、普通の人は近づけない大阪で紙芝居を五万巻持っているおじさんを執拗に追いかけている、その時の木下さんの説明は、「音の出る絵」という木下用語(キノシターミノロジー)でした。その観念に従えば、音がでなくて動かない紙芝居とでも言おうか、セットになっている。紙芝居は過渡期の日本を現している。権威主義になると、立って動かなくて音を出さない。権威主義から限りなく外れた月光仮面の紙芝居は、絵は動かないけど動かして声を出す。

木下……対照的です。今、皇居のお濠端に和気清麻呂の銅像が立っていますが、あれはあのあたりで一番不思議な光景ですね。皇紀二千六百年の記念に立てられたのですが、異常に大きいのです。現代の東京と何ひとつ調和していない。モニュメンタルなものを追い求めた時代の忘れものが、ずっと置かれたままになっているという印象を受けます。最近は、美術の世界でもモニュメンタルなものよりもむしろ仮設的なものが、主流とはいわないけど、はるかに人を引き付けています。

山口……若者は本格的な美術館の壁に架けられている古典的な洋画よりも漫画を見る。漫画は仮設の絵です。

木下……漫画とは何かを考える時、漫画に使われている紙こそが重要ではないでしょうか。あんな安っぽいぺらぺらな紙で製本された漫画の雑誌を取って置こうと思う人は誰もいないのです。漫画雑誌は捨てられるものです。

山口……文化差がそういうところに現れている。

 

 

 

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