このサーカスの唯一の選手である伊藤秀樹さんは、十七歳からこの世界に入り、すでに十二年間樽の中を走り続けている。切符を売る小屋の横で腰掛けて出番を待っている。お客が揃うとベルがなり、バリバリとオートバイのエンジンを吹かす。甘ったるいガソリンの臭いが当たりを漂う。
客は樽の上から底をのぞく格好になるが、底まで約三メートル八五センチの深さがある。
オートバイが樽の中に入ると、戸は閉まり、どぶ板という傾斜の助走路から一気に遠心力で樽の中を走り回る。撮影のため樽の中に入れてもらったが、開所恐怖症に襲われる。気持ちのいいものではない。最高時速六〇キロくらいの速度だからさほど早くはない。遠心力が安定してくると、今度は上下に激しく動く。その頃客が千円札の御祝儀を片手で樽の上に突き出すと、見習いの若者がその方を指示する、選手は赤い線が引かれている上限ぎりぎりのところまで駆け上りその千円札を手にするのである。千円札を手にした人の周りにいる客は、オートバイが目の前に迫るので恐怖心で一瞬身を怯ませ奇声を発する。両足をそろえての運転、札で目隠し、様々な曲芸を見せて七、八分くらいで終える。束の間の時間だが客は充分に堪能する。それも一年に一度しか見られないとあっては毎年これを楽しみにしている人もいるのだろう。