◎事務所づくり◎
翌日、栄公園では資材のチェックに余念なくあわただしく動いている小柄な体のがっちりした男性の姿があった。その人こそ今日までワールドオートバイサーカスを支えてきた山川義光(五八才)であった。さっそく取材を申し込むと、「忙しいから話はできないけど……」とそっけない返答だった。どうやら取材するなら勝手にどうぞということだ。年配の団員が三人ほどが現れ、昨晩若者たちは夜遅くまで飲みすぎて、起きてきそうにないと話を交していた。
そのうち山川さんは車でどこかに消えてしまった。
午後、丸太を積んだ一台のトラックが公園に入ってきた。四、五百本の丸太をクレーンで降し、早々に帰っていった。この丸太で小屋を組むのだ。山川さんも再び姿を現し、公園の一角で事務所兼宿泊所を作り始めた。昨夜は車の中で寝たという。他の団員は、近くのアパートを借りて寝泊まりしているのだ。鉄パイプの骨組みを組み立てあっという間に四畳半くらいの部屋が出来上がった。内部は金庫、机、テレビ、冷蔵庫、木製の小さな長持など、それに布団一式の家財道具を備えた立派な事務所である。入り口には北海道興行企画の看板が掲げられた。
小屋を組み始める前は、四本柱を立て「大入り満員花のごとし滝のごとし」と千客万来を切願したそうだが、今は省いている。
オートバイサーカスの樽が組み始まったのは、その翌日で釧路到着から三日目のことだった。お昼の十一時近くになり、三々五々集まった団員七人の手で始まった。