◎樽を飛び出したオートバイ◎
稚内の高市が明日から始まる。残念なことに瓦礫の間に雑事のところどころ生えたこの空地に、もう見世物は来ない。
大高の稚内が終るとすぐ、翌日から岩内の高市が始る。岩内はここからおよそ四五〇キ口南下した、日本海に面した港町だ。夜乗りになるこのコースは、途中に難所の雄冬峠もあり何台ものオオトンが潰れた地獄のコースでもある。大高の、死にもの狂いのバイが終っての夜乗りのつらさは、鍛えあげたテキヤが音をあげながらも、短い夏を効率良く稼ぐためのけもの道でもある。近場の羽幌には一日の空きがあるがバイにはならない。昔、オオトンを持たない男は確か羽幌に行った。男のいなくなった羽幌の高市は色褪せた。私はいつからか岩内に行くことにした。岩内に行く理由はこの他にふたつある。
兄貴分が居る。高校生の頃から親の手伝いで天秤棒で金魚をかつぎ、時には積丹の峠を越え、時には列車で冬の根室まで行き、しばれる道を漁師相手に羅臼まで町々、集落に立ち寄りながら徒歩で北上。しばれた金魚の鱗をドヤで温め歯ブラシでこすりはがし、新種だとだまして売り払ったと開く。テキヤの権化のような兄貴である。兄貴にメシを喰いに来いと言われている。
もうひとつ、ワールドオートバイサーカスが岩内には付く。大きな木造の樽の中を年代物のインディアンというマシンで廻る曲芸である。
この曲芸の最大の見せ場は、花と称する御祝儀を受け取る場面であろうか。
花を樽の上部から乗り出して差し出す観客めがけて急角度に走り登り、札ビラつかみ取るや反転して眼前にあて手ばなしで水平に数周し、また急角度で樽を走り登るや軍隊式の敬礼をする。敬礼は反転する直前になされる非常に危険なもので、あらかじめ樽の内側上部に塗られた五〇センチ程の赤ペンキのゾーンには団長命令で入ってはいけない。今はもういないアヅマという男は、いくら団長に怒鳴られようがヤキ[註14]]が入ろうがここに突入する。あげくの果にマシンごと博を飛び出し観客に大けがをさせた。インディアンは職人時代の鋼鉄製だからゆがまないが、本人は骨折入院。これは昔小樽の高市中の出来事だった。幾度かアヅマは飛び出し、又、転落している。ライダースーツの中の男の彫物は不動明王だったと記憶しているが、ワイヤで締めつけた樽はきしみ、ゆがみ、マシンの重い振動を伝え、祭りの生の横溢を見せつけ、隣り合せの死を暗示させるとんでもない芸である。
馬鹿じゃできない。利巧じゃできない。中途半端はなおいけない。アヅマがそう思っていたかどうかは別として、コーモリ傘のあの男の秘術が土場[註15]]の隅に密かに取り行われたのに対し、オートバイサーカスは祭りの花形だった。
団長もライダーも代が替っているが、飴細工の岩内のショバ[註16]]は、マシンの響が聞えるところにある。
14]ヤキが入る…暴力的制裁
15]土場…祭りの露天が並ぶところ
16]ショバ…土場の中の個々の店の場所
17]太夫元‥見世物小屋の太夫芸人の元締め、座長
18]分方…一座を世話する地元責任者。売りあげの分配権を持つ
19]ヤサ…鞘の事か?帰るべき家。ここでは仮設の寝小屋に対しての家の中
20]トロ箱…魚箱