◎ ナミちゃんとイチロウさんの肉体芸◎
見世物の舞台に、学者犬タコと輪とびのデブの二匹は残っていたが、犬だけではタンカもつかない。森金興行の親方は、数年前に他界していた。多田さんは、しばらくの間、他の見世物興行の巡業に同行した。
足し算の答えを当てる学者犬タコは、その名に似合わずとても賢い大で、目で合図するだけでも段取りが通じたらしい。(デブという名の犬も太ってはいなかった。多田さんらしい名前の付け方である)。
「吸血女」に噛みつかれ、血を吸われる役もつとめたが、歯を立てなくてもちょっとツネると泣き声を上げるタイミングは抜群で、動物愛護同体から抗議が来たほどだ。
翌四十六年は、新たな出発の年となった。秋に「いまのカアちゃん」フサコさんと一緒になり、天幕をたたんだ青森の見世物興行から、ベテランの太夫さん二人を譲り受けることも決まった。フサコさんにも子供がおり、稼がねばならない。トラックの運転もこなしたフサコさんは、司会進行役として舞台に上がった。
多田さんの小屋にやって来た新しい太夫さんは、ナミちゃんとカニさんことイチロウさんである。青森の見世物興行では「牛男牛娘父子二人」の触れ込みで廻っていたが、もちろん本当の親子ではなかった。
牛娘のナミちゃんは、膝の関節が逆になっていた太夫さん。大分は豊後竹田の生まれで幼い頃、養子先から見世物に預けられたようだ。お尻にひょっとこの面を付け、「おてもやん」の曲に合わせて逆立ちのまま手踊り(つまり足踊り)をする「逆さ踊り」や、屋形船などの紙の飾り物を作る切り細工、徳利を使った手品や皿廻しを持ち芸としていた。既に四〜五軒の小屋を渡り歩いていたナミちゃんは、四十代後半の"娘"だったが、このあと二十年以上もの永きに亘って多田さんと寝食を共にすることになる。
イチロウさんは七十歳の大ベテランで、手足の指がカニのハサミのように二本になっていた太夫さん。