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佐渡長谷寺十一面観音立像(平安後期)

 

為兼も順徳上皇も高名な歌人であり、この二人の先輩流人は佐渡へ流される以前から世阿弥の胸中にひらめいていたらしい。順徳院を追悼した中で世阿弥は「光の陰の憂(う)き世をば、君とても逃れ給はめや」(泉)と書いている。この哀しい世では天皇といえども逃れることはできないの意か。あるいは「君」である院もこの自分も、浮き世のはかなさを(流罪者として)対等に生きているのだ、の意だろうか。

「北山」は、佐渡最高峰(一一七二メートル)の金北山に、白山権現が宿(やど)るとした詞章で「そもそもかゝる霊国(れいごく)、かりそめながら身を置くも、いつの他生(たしゃう)の縁(えん)ならん。よしや我(われ)、雲水(くもみず)の、すむにまかせてそのまゝに、 衆生(しょうじょう)諸仏も相犯(おか)さず」と清澄な気持をつづったあと「山はおのづから高く、海(かい)はおのづから深し。語り尽(つ)くす、山雲海月の心、あら面白や佐渡の海、満目青山(まんもくせいざん)、なをおのづから、その名を問(と)へば佐渡といふ、 金(こがね)の島ぞ妙(たへ)なる」と読んで、この島をたたえる。世阿弥にとって、配流もまた諸国一見の「旅」であるらしく、自分を「雲水」にもたとへて書いている。

おしまいに「これを見ん残(のこ)す金(こがね)の島千鳥跡も朽ちせぬ世々のしるしに」、と歌一首を書き加え「永享八年二月日。沙弥善芳」と署名し、『金島書』は終るのである。沙弥を冠して「善芳」とあるのは世阿弥の法緯で、歌の意味は「佐渡という島で私が書いたこの書は、朽ちることもない後代にまで、形見として見てもらえることであろう」である。『古今集序』には「鳥の跡久しくとどまれらば」の一文があって鳥の跡は文字をさし、中国古代の黄帝のときに蒼頡(そうきつ)が、鳥の跡を見て文字を作ったという古事に由来するとされる。

世阿弥の「島千鳥、跡も」はそれを連想させる。この「奥書きの年記自体が(世阿弥の)生存年数を示す最終資料である」(世阿弥・禅竹)とあるように、世阿弥はこれを書いて、以後消息を断ってしまった。

 

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佐渡から金春大夫・氏信に宛てた「佐渡状」(宝山寺蔵・奈良県文化財)

 

 

 

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