「なんでもずっと昔から村の大事な祭りだったすけ、決して絶やしてはならねえて、オラ嫁きたときから姑ババにいわれてきたんだ」
三月の百万遍、四月の虫送り、十二月の太鼓洗い。季節の巡りくるたび、女たちは地蔵さまに念仏申し、飲食を共にして一日をあそび、村人の安全と健康を一心に祈ってきた。
もうひとつ、千唐仁には地蔵がある。こちらは阿賀の堤防端で、吹きさらしの草叢にひっそり立っている。村人にたずねてみても、そげな地蔵さまあったかね、と返ってくるばかりの無縁地蔵である。
そんな地蔵にも心をかける人のあることを通りすがりに知る。雪の日、藁の雪帽子にくるまれて、地蔵さまは静かに笑んだ平らなお顔を川に向けていた。「おめさん、寒くないだかね」そんなふうに語りかけ、手でさすり、婆さまたちは昔から、村の虫地蔵も縁薄いこの地蔵も等しくお守りしてきたのだろう。
「オラ、毎度頭下げて通りますんだ。日に三遍通れば三遍頭下げて。うち一遍は「まちがえのないように、しあわせに暮らされますように。お地蔵さま、どうか健康で生きられますようにお願えします」って言いますあんだ。正月にもお盆にも、必ずお参りします。村の大切な神さまお奉りしてるんだすけ。部落で奉っているんだすけにね」
つつが虫の害は現在ほとんどない。それでも、冬を迎えれば毛糸の帽子とべべが、春がくれば綿の頭巾が、地蔵に着せられる。くる季節、くる季節に絶えることなく地蔵を守る老人がいて、変わらず朝に夕に、地蔵さまに頭を下げて、村の道を通る老人がいる。
<ライター>
写真撮影=村井勇