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東伍の功績が認められた学位記

 

東伍は日本の音楽史や芸能史についても興味を持って独自の研究を続けていたが、 一九〇八年(明治四一)、東京の銀行財閥安田善之助が堀家旧蔵の世阿弥伝書を入手して松廼舎文庫に保管していることを知ると知人を介してこれを借覧。きわめて短期のうちに解読して、発表する。東伍の世阿弥発見、発表は従来の能楽研究を一変させるほど衝撃的な大事件だった。それまで明確でなかった世阿弥元清の質の高い能楽論の大綱が一挙に明らかにされたからである。翌年、丹念な校注が加えられて出版された『能楽古典世阿弥十六部集』は、単なる能の伝書の集成本にとどまらない。この本がもととなった芸術論、文学、哲学、教育学など、新しい研究が国内外の人びとによって次々に産みだされていったからである。東伍没後の一九二三年(大正一二)九月、底本となった松廼舎文庫本が関東大震災で消失してしまったために、この本がしばらく「吉田本」として能楽関係者の間で宝典扱いされていたのは有名な話である。東伍の世阿弥十六部集がなければおそらく、今日のような能楽の発展はありえなかっただろうとまで言われている。

一九〇九年(明治四二)七月、博士会は『大日本地名辞書』編さんその他の功績を認め、四十五歳の東伍に満場一致の推薦で「文学博士」の学位を授ける。この時同時に学位を受けた人物は東伍のほかに森林太郎(鴎外)や久米邦武ら五名いたが推薦順位は東伍が筆頭だった。「学歴」を持たない在野の研究者が博士になったと話題となり、新聞は「真に独学の好模範というべき」と書いた。

 

◎現代から遡る歴史観、『倒叙日本史』◎

大河、阿賀野川べりの越後安田をふるさとに持つ東伍は「水と戦うということが人間本来の性質です」と語り、人びとの生存に直接作用する河川の変遷と、それにつながる治本・濯漑・開墾など、開発の問題に多くの関心を寄せた。

一九一〇年(明治四三)出版の『利根治水論考』は彼の研究スタイルがよく現れた名著である。流域面積日本一、坂東平野を貫流する利根川の変遷を論じ、時々の支配者が、自然の理に反して強行した治水策を強く批判している。同時に自ら「広く歴史地理の研究、並びに修治利用の方策に要する資料に供せんとす」として、自身の研究成果の利用を訴えている。

一九一一年(明治四四)、在野の史学者として気を吐き続けていた東伍を、またしても「筆禍事件」の当事者にしてしまう出来事が起きた。南北朝時代の南朝と北朝のどちらが正しい皇室の系統かという論争が政治的事件となった「南北朝正閏問題」である。

固定の歴史教科書『小学日本歴史』が南北両朝廷併存の立場ぞ書かれているのは問題であるとする非難が起こり、文部省の委嘱で教科書を執筆した喜田貞吉は休職処分となる。

 

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時間を遡って記述する日本通史「倒叙日本史」全十一巻(1913-14刊)

 

 

 

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