国粋主義的な風潮が蔓延する中で「大逆事件」などとも絡められたためにセンセーショナルな事件となった。当時、側杖を恐れてダンマリを決め込む学界の中にあって、東伍は敢然と少数説としての北朝正統説を主張しとおした。「官」に何らの関係をもたず、地位や名誉にこだわらない野人学者の面目躍如である。
一九一三年(大正二)から翌年にかけて、大学の授業や歴史地理学会の運営に奔走しながら『倒叙日本史』全十一冊を完成させる。東伍にとっては地名辞書に次ぐ大冊だ。わが国の歴史を現代から書き起こし、だんだんと時間を遡って述べるという前代未間の日本通史である。
過去の事跡を掘り下げることだけに留まっていては本当の歴史研究とは言えない。私たちの未来はどうあるべきか、その答えを見つけだすために歴史を学ぶのだ。そのためには「現在」を正しく見ないといけない。それを自ら著書で示そうとしたのである。東伍のこの独創的なアイディアは青年時代からのもので、はじめに考えられていた書名は「逆体日本史」というものだった。ところが、東伍の兄の餘太郎が「逆体」という言葉を冠すると熟語として不穏当な意味になり、無用な誤解が生じる恐れもあるので『倒叙』とすべきであると諭し、この書名になったといういわくがある。本書で試みられたユニークな記述形態が、それまでの常識を覆す大胆なものであったために「奇をてらうものだ」との批判もあったが、現代史を重視し、地域社会や経済にウエートをおく着眼は、わが国の社会経済史研究に先鞭をつけたものとして学史的にも重要である。