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しかもこれについては「地名学入門」ともいうべき論説を『汎論』として付し、その理由を読者が納得できるように配慮している。

次に、地名の考証に用いられる素材が確実な典拠を示してふんだんに掲載されている点である。文献資料の例示では、原典をそのまま掲載したものと、文意を簡潔に伝えるために、節文と補筆を施した冗漫を嫌う東伍独特の手法によるものとがある。実は、東伍がこの辞書で必要とした参考文献の内の約三分の一は、いわゆる「稀書」に属するものだった。帝大図書館や内閣文庫、地理局など、当時民間人が容易に閲覧することのできない機関や、上流の資産家が秘蔵するものがほとんどで、その調査は困難を極めたと伝えられている。東伍は、僅かな借覧のチャンスに少年のころから培った鋭い史眼と読書法、抜群の記憶カをもって挑むことで、これを見事に克服している。であればこそとも言えるが、ややもすれば「稗史」的史料として軽視されがちな口碑・伝説、金石文の類をも収めて読者に提供している。文献のみに拘泥することなく、書かれざる歴史にも注意を向ける著者の識見と言える。全巻、項目ごとに優れた考証力で論断され、一読しただけでその土地の印象が鮮やかに浮かんでくる文章は、時を経ても色あせることはない。今後も『大日本地名辞書』はわが国唯一の総合大地誌として、永く活用され続けることだろう。

 

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『大日本地名辞書』安田の項の原稿(早稲田大学図書館蔵)

 

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地名辞書の序文に記された

「悪戦僅に生還するの想あり」の十二文字

 

◎世阿弥『花伝書』の解説と能楽研究◎

地名辞書執筆中の一八九九年(明治三二)、友人で歴史家の喜田貞吉らが中心となった日本歴史地理研究会(後の日本歴史地理学会)が発会し、東伍も発起人・賛成員の一人として名を連ねる。同会発行の月刊雑誌『歴史地理』に毎号のように論文・評論を発表していた彼は、後にこの会の主要な幹部役員となって活躍することになる。

在地研究者を重視した運営が特徴の同会は、毎年各地で講演会・講習会を開催したが、東伍はこれらの講師もたびたび務めた。日頃無口で知られる彼だが、凛とした講演は分りやすいと好評で「来るものも来るものもが、吉田先生をと指名するのは一様であった」(喜田貞吉『吉田博士を憶ふ』)と言われている。

一九〇一年(明治三四)、のちに早稲田大学となる東京専門学校で講義をしていた喜田が文部省へ就職することとなり、その後任に地名辞書編さん中の東伍を推薦する。

 

 

 

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