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すなわち、朝鮮半島、中国大陸の土を実際に踏んで、自分の眼で文物を確認し、それまでの自分の研究を検証したいと考えたのである。

翌年一月、海軍従軍が許可され、軍艦「橋立」に搭乗する。威海衛戦、澎湖島戦に参加し、「艦隊従軍日乗」といった記事を艦上から書き送った。歴史や地理の知識に裏打ちされた彼の前線レポートは、他紙の記事にはない特徴をもつものだった。五月中旬に呉港で退艦。艦内でマラリヤに罹り、佐世保の民家で一時療養後帰京する。

新聞記者時代の東伍は、さかんに上野の図書館に通いつめた。目録をめくっては借りだし、読破するという日々が続いた。「読書は一種の戦争である…目録は戦場における地図である…読むと同時に写せ」(「読書の一法」)彼の読書とはこうしたものだった。「我は歴史家たらんという断固たる決心に落ちていった」のもこの頃だったという。

 

◎『大日本地名辞書』の編纂◎

 

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一閑張の机に向かう東伍(1908年頃)

 

日清戦争徒軍から帰還した彼は、歴史家たるもの自分の研究を切り売りするような生き方はしたくない。自分の将来を賭けるような大仕事に挑戦してみたいと考えるようになっていた。若くして地誌学を志し、土地に刻まれた人びとの歴史に関心を寄せていた彼が、それまでのわが国に統一した地誌が存在していないことに着目し、再思三考して構想したものこそ、日本初の総合地誌、すなわち国内の地名を網羅する『大日本地名辞書』の編さんだった。明治政府ですら成しえない大事業に、一民間人が、それも独力で挑むというのである。

最初にこの企ては、叔父旗野十一郎に打ち明けられた。十一郎が所蔵する、東伍にとっては大叔父の小川心斎が書き残した未完の地誌『国邑志稿』の利用を乞うためである。『国邑志稿』は、心斎の稿本を十一郎がさらに改描補緩した手稿本で、国郡、政治、人物、風俗、物産、道程、社寺など十数の項目からなる一綴約百枚、六十余冊の大冊である。

 

 

 

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