24. 尾崎敏夫家住宅 明倫町4-7
主屋規模(間) 6×4.5 切妻造・瓦葺 大正15年頃
軒形式 登梁 庇 瓦葺
言い伝えによると、当家は以前、柳町(現内山家の前あたり)に居を構えていたが、大正末ごろに現在地に移り住み、その時に現在の主屋がつくられている。左手に玄関をとり、右手の床上は、田の字型にミセノマ(6畳)、チャノマ(8畳)、オク(10畳)、オク(10畳)の4室が配され、整然とした間取り構成になっている。二階にも3部屋みられるが、前方の部屋は後補で、奥側の2室は当初からくられていた可能性がある。表側のミセノマとオクの前面につく出格子は新しく、当初からついていたものではない。二階の階高が大きく、家構えは大正末から昭和初期の町家の様相を伝える代表例といえる。なお、当家に残された地籍図によると、尾崎秀一家の敷地は100坪で、奥行きは背後の二番通りに面した家屋とは背割用水で区切られている。