小白倉の「もみじひき」
もみじひきの歴史はそれほど古くなく、その始まりは大正4〜5年の頃であるといわれている。これは秋に行われる祭りで、以前は開催される日程が確定していたのだが、現在では参加者確保のため、9月の第一日曜に行われるようになった。前夜祭では集落内にある十二社で地踊りなどのイベントが催され、その賑わいは夜遅くまで続く。そして当日は、もみじの木を村中引き回す「もみじひき」が始まる。もみじは昔からめでたいものとされ、この祭りも美しいもみじの木を祭りの華として氏神様に供えたことに始まったという。もみじは、その年に祝事のあった家をまわり、酒の振る舞いを受ける。そして各家ごとに小白倉天神囃子を謡い、村中で祝うのである。もみじを引いている途中では水を掛け合い、池に投げ落としあう。この日ばかりは無礼講でだれかれかまわず水の中に投げ込まれ、その光景は過疎地を思わせない賑わいを見せる。これは、引き回され泥で汚れたもみじの木を水で洗い清めてから木の持ち主に返すといういわれである。
この祭りは比較的格式張っておらず、形式にはまらないもので、とにかく村中で賑やかに楽しむといった色合いが濃いものである。
自慢会
昭和62年に始められた行事で、その名の通り一年間でとれた農作物や個人の趣味の成果物を自慢しあう収穫祭である。毎年11月3日に開催され、集落内に限らず訪れる人は300人を越えるといわれる。この行事の会場としては旧白倉小学校を活用する。体育館では農作物の販売、盆栽・菊・俳句の展示が行われ、屋外では錦鯉の品評会や、ハザ掛けの米のおにぎりや酒のふるまいがある。川西町でも町全域での自慢会を開催しているが、白倉では独自で運営できるだけの規模を持っている。
天神囃子
祭りやイベントごとに謡われる天神囃子は大白倉と小白倉では歌詞が違う。
【大白倉】
天神ばやしの梅の花
一枝折りて笠にさす
笠にさすより島崎
女郎衆の手みやげに
日出度いこれのお台所
棟が七つ八つ
後に倉が九つ
【小白倉】
天神ばやしの梅の花
一枝折りて笠にさす
笠にさすより下崎(島崎)の
女郎衆の手にあげよ
目出度いものは大根種
花が咲いてから実がなれば
俵重になる
めでたいものとして、大白倉と小白倉では違うものが謡われている点が興味深い。価値観の違いや異民族性の現れであるように思われる。
現在、大白倉と小白倉が会したときに謡われるのは小白倉天神囃子である。
集落内道路の変遷
白倉は川西町でも最も北に位置し、周囲は刈羽郡小国町・柏崎市大沢・小千谷市北山に接しており、それぞれに通じる街道が昔からあった。それらは単に集落内の利用にとどまるものではなく、柏崎方面と信濃川沿いの内陸地を結ぶ裏筋の一つで頻繁に利用されていたと『むらの記録』にはある。山深いこの地の街道の整備・改修が始められたのは大正の時代に入ってからであった。
以下『川西町史・通史編』『むらの記録』を参考に集落内道路の変遷を追ってみたい。
1)国道403号線
国道403号線は現在大白倉・小白倉両集落において最も主要とされる道路である。南下して見てゆくと、刈羽郡小国村から白倉を抜けて渋海川近くの中仙田地区で高柳町・柏崎市へ続く国道252号線で合流そして分岐して松代町まで続く。
歴史を探ると、当初は仙田地区を渋海川沿いに縦貫する「渋海線」として明治28年に開発を県に申し出たが採択されず、改めて「県道犬伏長岡線」として開発が計画される(明治42年)。しかし改修が始められたのは大正3年からであった。