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仙田地区の空家

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NO.は、集落内における住宅番号

○印は建築後50年を経ているもの 建築年代は聞き取りによる

 

田戸 全戸数26軒のうち19軒にあたる73%の住宅が戦前の建築で、空家は6軒のうち、4軒が戦前の建築である。

室島  35%の住宅が戦前の建築で、空家は10軒のうち5軒が戦前の建築である。

高倉  65%の住宅が戦前の建築で、空家は13軒のうち9軒が戦前の建築である。

小脇  56%の住宅が戦前の建築で、空家は、2軒のうち1軒が戦前の建築である。

空家の建築年代は、古いものが多い。

3)渋海川沿いの集落と出中の集落

1で述べた通り、山中の集落では2集落が廃村になっており、残る集落も過疎と高齢化の集落である。渋海川沿いの集落もその傾向にあるが、山中の集落に比べると住民の危機感は少ない。この違いはどこから来ているのだろうか。世帯数や人口推移の表を見ると、渋海川沿いの集落と山中の集落の人口は、同じように減少している。減少傾向にあるのは同じだが、昭和35年度の人口をみると山中の集落は、川沿いに比べて人口が少なかった。そのわけは、昔の生活と関係があるようだ。渋海川が背替えされる前の水位は今の水位よりも高く、上流と下流を舟で行き来できたという。仙田地区で生産されたものを舟で下流に運んだ。上流で材木を切り出し、渋海川に流して下流に運んだ。現在のように道路が整備されていなかった時代の話である。これは、聞き取りによるもので、川と生活が密着していた頃のことである。

川と生活の関係のほかに、主要道のルートが上げられる。高倉と田戸は、現在の主要道のルートから外れてしまい、孤立したようになっている。大倉は、山中の集落であり、現在の主要道からも外れてはいない。大倉の過疎は、転出した人の事業の成功によるもので、転出先で事業に成功した人が、大倉に住む人を呼んだ、という話である。

 

 

 

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