第3節 仙田地区の空家
人口減少の結果、過疎となり、空家となった民家はどのように使われ、利用されているのかを調べ、過疎の象徴である空家の再生と活用を考えていく。
1 集落の過疎と高齢社会
仙田地区の集落は、A渋海川沿いにある集落とB山中にある集落の二つに分類できる。
A 渋海川沿いの集落
岩瀬、赤谷、中仙田、室島、小脇
B 山中の集落
小白倉、大白倉、大倉、田戸、高台
越ヶ沢-昭和60年に廃村
藤沢-昭和59年に廃村
どの集落も人口の減少、空家、高齢化や少子化の進行がみられる。山中の集落は越ヶ沢と藤沢の二つが廃村になっている。渋海川沿いの集落と比べると山中の集落は、子供のいない高齢者の集落になっている。渋海川沿いの集落も過疎や超高齢化の傾向にあるが、山中の集落ほど住民に危機感はない。廃村になった集落や、過疎の著しい山中の集落の姿は、渋海川沿いの集落の未来の姿の一つとして映る。
人口流出の要因は、1]仕事を探して移住するもの、2]はかの土地へ移住した子が親を呼ぶもの、3]移住先で事業に成功した人が集落の人を呼ぶものと、聞き取りではこの3つのパターンがあった。
2 空家の利用の現状
ここでいう空家とは、「過疎の影響で人が住まなくなった住宅」である。仙田地区の空家の現在の利用状況等の内訳を、先祖供養、農作業、倉庫、別荘、使用していない、の5通にわける。これらについて説明する。
先祖供養 先祖供養に戻ってくるのは、仙田地区で生まれ育った世代だけで、新しい土地で生まれた世代は仙田地区には来ない。先祖供養のために残されている空家は、引き継ぐ世代がいない。
農作業 通勤百姓と呼ばれている。以前自分たちが住んでいた家を残しておいて、そこを拠点に農作業をしている。野良仕事は、夫婦二人でやってくる人もいれば、一人でやってくる人もいる。
倉庫 親戚や近所の家が空家になるときに買い取って倉庫に使っている。
別荘 以前住んでいた人たちが、別荘として使っているものと、仙田地区の空家を業者を通して購入したものがある。年に1度来る人から、毎月来る人まで利用回数はさまざまである。
空家を購入した人たちは、家族づれで別荘にやってくる。これは、今の所有者に引き継ぐ世代がいるということになる。以前住んでいた人が別荘に使っているところは、仙田地区で生まれた人はやってくるが、移住先の土地で生まれ育った世代は来ることはないという話だった。これは、次を引き継いでいく世代がいないということになる。これら別荘は、冬場を避けて利用している点で共通する。
3 空家の分析
1)空家の割合
仙田地区の全戸数423軒のうち、空家は76軒あった。これは全戸数の18%になる。
空家の占める割合が多い順に並べると次のようになる。高倉、大倉、田戸、室島、赤谷、岩瀬と小脇、中仙田、の順である。これを渋海川沿いの集落と山中の集落にわけると、高倉、大倉、田戸の山中の集落に空家が多いことがわかる。渋海川沿いの集落よりも、山中の集落のほうが空家の割合が大きいのである。過疎と高齢化が進んでいる集落は空家の割合いが多い。
2)空家の建築年代
空家について、昭和戦前か戦後の建築か集落ごとにわけ、その結果を述べる。
大倉 全戸数8軒のうち5軒にあたる65%の住宅が戦前の建築で、4軒の空家は、すべて戦前の建築である。
岩瀬 全戸数53軒のうち12軒にあたる23%の住宅が戦前の建築で、集落内に古い建築は目立たないが、6軒の空家は、すべて戦前の建築である。
赤谷 16%の住宅が戦前の建築で、空家はほかの集落に比べるとて古い建築は少ないが、10軒の空家のうち5軒が戦前の建築である。
中仙田 16%の住宅が戦前の建築で、割合は赤谷と並ぶ。空家、5軒の40%の2軒が戦前の建築である。