鈴木健二氏(熊本県立劇場名誉館長)
記念講演
「広域連携による観光振興と地域の発展について」
私は代々江戸っ子ですが、旧制高校時代に弘前へ来ました。そして東北大学へ入学、青春のほとんどをこの東北で過ごしました。熊本へ参りましたのは昭和63年7月です。私は直ちに県立劇場を整備し、半年かけて98市町村を歩きました。そこで何が分かったか。1つは、伝承芸能のエネルギーです。もう1つは過疎です。私は休耕田に立って「あっ、自分は日本を知らなかった」と思いました。私は地方の現実を知りませんでした。日本は今、無形文化財の復元が叫ばれていますが、その文化財の65%は過疎の地域にあり、そのために消滅していくわけです。私は熊本県立劇場文化振興基金という制度をつくり、村おこし・町おこしをやってきました。
青森県の文化観光立県宣言もお手伝いしました。私が底流におきましたのは、三内丸山というところはあなたたちの祖先が眠っている鎮魂の場ですよ。そのことを青森県民は深く認識して欲しいと申し上げました。最初にどうやって心をつくるか、その上にたつと伝承芸能はずっと残っていくんです。また、阿蘇の高いところで神楽の稽古を始めましたが、全員が辞めると言い出したことがあります。そこに瀬島議長が登場、今日のような会議で神楽をやらさせていただき8000人のお客さんがおいでになりました。最後の幕が下りた時、全員舞台へ上がり抱きあって感動の涙を流しました。
清和村というところには人形浄瑠璃芝居が伝承されていました。太夫さんはいません。大阪の文楽座の客席で盗みどりしたテープだけでした。私は村にテープを寄贈しようといろいろ関係者を回りまして、結局、NHKに越路太夫さんのテープを本人の了解を得て譲ってもらいました。今はこの村に全国でただ一つの村立文楽劇場が出来ています。年間10万人の観光客が訪れます。
平成元年から社会人の日常塾というのを熊本で開き、青森でも開いていますが、最終公開講座に熊本の塾生が来ました。今度は熊本で障害者を中心にした音楽会を開きましたら、青森の塾生が来て、将来熊本と青森が心の交流ができるようにお互い誓いあいました。一番重要なのは心を繋ぐということです。
私は障害者を含むコンサートを考えました。その理由は、高等学校時代に戦争で親を失った子供たちが収容されている施設で、朝から晩まで洗濯している子供の姿をみて人間の生きがいを教わりました。あの子にレクイエムを奏でてやりたいのです。また、私は精薄児の父といわれた伊藤先生にある時、「何とかこの子たち(精神薄弱児)に光を与えたい」と言いましたら、先生から「あなたは間違っています。この子たちこそ人間の光なのです」言われました。最も衝撃を受けた言葉です。そして、平成5年に初めて「心コンサート」をやりました。身障者の方たちを大変感動させ、それを取り巻く人たちも愛と心を芽ばえさせました。この会議の基本もそれぞれの県の人々が愛郷心を持つとともに、その愛郷心がひとつになって東北六県を愛そうとする気持ちを皆さんの手で作り上げていただくことを目的にしていると信じます。