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すぐに武昌革命の銃声により「7年計画」の実施は中断されたが、たとえ時間があったとしても、内外の情勢及び各種の条件の制約により、この海軍発展計画は実現不可能なものであった。

一つの国家について、歴史のチャンスはかならずしもいつもあるものとは限らない。歴史のチャンスを逃がして、チャンスが過ぎ去ってからこれを追いかけても、思うに任せず徒労に終わるものである。日清戦争後提出された野心満々の海軍発展計画は実施困難であるか途中で夭折するしかなかったのは、この消息を説明している。

 

 

第一次阿片戦争から日清戦争までの五〇年間、中国は海軍を発展させ、上向きにするチャンスがなかったわけではなかったが、この百年に一度あるかの歴史のチャンスに対して、後少しで逃すか、あるいはしっかりと掴むことができなかったのである。チャンスが失われた後に再び追いかけても、すでに塵を望んで及ぶなしという状況である。歴史は公平なものであり、チャンスを中国に与えたが、中国人は自分でチャンスを安易に流してしまったのだ。そのような局面をもたらした所以の者については、その原因は一端に止まらないが、その主要なものを挙げて見ればだいたい以下の数点である。

その一、長期的な鎖国が生んだ持久的な消極的影響であり、伝統的な「華夷の別」の観念が、中国人の頭脳のなかで根本から消し去ることは難しく、そのため、西洋資本主義の先進的な事物を学習することに対して、警戒心か甚だしきは抵抗感があり、海軍の順調な発展を制約した。当時の中国の「師夷」は、列強の侵略によって強制されたものであって、自覚されたものではなかった。19世紀の40年代において、進んだ中国人は「師夷」の説を提出していたが、60年代にいたってやっとそれを実施に付し、それだけでもすでに20年間も無駄にした。たとえ60年代に至っても「師夷」へ反対する力は非常に大きかった。

 

 

 

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