北洋海軍の全軍が沈没したとき、日清戦争はまだ進行していたが、清朝政府は海軍を再び整える考えを有しており、借款により船を購入する計画をおこない、海防にそなえようとした。しかし、これは短時間の内には出来ないことであり、さらにことここにいたっては、数艘の軍艦を購入するという方法で海軍の再建を図っても全く無益であった。
日清戦争後、海軍の復興の問題は清朝政府の議事日程に何度も上った。当時、多くの人は、希望を10年前に辞職し中国を離れた、北洋海軍総査・琅威理(William Lang)に託そうとし、彼を招いて海軍を復興させようとした。時移り、果たせなかったが、琅威理はメモを提出し、中国の海軍再建に個人的意見を述べた。琅威理のメモによれば、彼は、清朝の当局者について言えば、重点的に二つの問題を解決する必要があると考えていた。一つは海軍の戦略的地位について認識することであり、第二に、海軍をやりぬこうという決心である。この認識に得心いけば、決心をすることが出来るので、この両者は一致したものである。かれは繰り返し、「中国の海軍の整理は、まず、不抜の基礎がなければならず、永遠に継続し、決意し、一貫徹底させ、朝令暮改を行わないこと」と強調した。「海軍の設立は、自衛のためのものか、復讐のためのものか、意志を固めるべきである。意志を固めたら、変えてはいけない。」これも確かに問題の所在を探し当てたのである。琅威理は、中国海軍における長い経歴をもって、はっきりといくつかの実際に符合した建議を行った。しかし、清朝政府は、巨費を賄いがたいことを理由に、海軍の復活を急がないことにした。しかし、琅威理の案は、毎年1000万両を用意して造船するというものに過ぎず、これはたしかに大きな数字ではあるが、日清戦争賠償金に比べれば、ゼロが一つ少ない。これは決心の問題である。しかし、こんどは、たとえ、琅威理の建議を用いると決心したとしても、客観情勢はそれを許さなかったであろう。すぐに列強が中国の軍港を分割するブームが起こったので、中国の沿海部の重要な港湾はすでに占領され尽くしたので、すでに海軍が停泊する基地さえ探せなかった。いわんや海軍再建のなにをか談じようか?しかのみならず、継いで来た八カ国連合軍の中国侵略戦争の中で、中国が国外から購入した6艘の艦艇は全て連合軍の略奪に遭い、雪の上に霜を加えるが如く、徹底的に打ちのめされた。