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上述の種々の積極的努力によって、中国人は遂に世界の海軍国の列に加わる門を叩いた。1871年4月10日、清朝は福建浙江総督の英桂が上申した「輪船出洋訓練章程」と「輪船営規」を批准した。既に先に福建水師提督に任命された李成謀を輪船統領として任命し、ここに中国近代海軍の最初の艦隊即ち福建海軍が成立することになった。10年の後、1881年冬、北洋も既に高速艇、砲艦、練習船等13艘を擁し、初めて規模を備えた。ここで李鴻章は、丁汝昌が北洋海軍を統領する事を上奏した。また、三角形の竜旗を長方形として、縦三尺、横四尺と定め、地や形の色をそのままにすることを上奏した。これは中国近代で最も早い海軍旗となった。その後、北洋海軍は拡張を続け、1888年10月3日、清朝は「北洋海軍章程」を批准し、北洋海軍は正式に成立した。北洋海軍の編制は、鉄甲艦2艘、高速船7艘、砲船6艘、魚雷艇6艘、練習船3艘、輸送船1艘の計25艘、36708トンであった。これらの艦船の内、主力艦は全て英国、ドイツ両国から購入したものであった。当時は相当実力を有する海軍艦隊を早期に建設するために、国外から新式の艦艇を購入することはまったく必要なことであり、清朝政府は造船と船舶購入を並行させるという方針を採取した。英国、ドイツで注文製造した7艘の戦艦は、北洋海軍の主力となった。成立後の北洋海軍はその実力で言えば極東第一であり、各国は刮目してこれを見た。

日清戦争勃発前の30年、歴史は再び中国に対して海軍を発展させるチャンスを提供した。当時の中国の政策決定者は、歴史の潮流に適応し、基本的に海軍を発展させるチャンスを捉え、属目される成果を取得した。ただし、この30年間にはチャンスもあれば挑戦もあり、二者は併存していた。

 

 

 

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