日本財団 図書館


英国が引き起こした第一次阿片戦争は中国にとって見れば、二重の作用があった。中国社会の千載一遇の変化を引き起こし、また不世出の機会をもたらした。すなわち、その道を得て、これを順用すれば、大害が変じて大利となすべく、中国の改革と発展の契機となるべきものだった。これはまた中国が海軍を発展させる大きな歴史のチャンスだった。中国は当時この歴史的チャンスを掴むことなく、かえってこれを交腎に失ったのは、痛惜に耐えない。

 

 

第一次阿片戦争後、西洋諸国の武器装備は世代交代の時代に入った。木製の帆船は次第に鋼鉄製蒸気船に交替し、滑腔砲は線条砲に変わった。40年代末、西洋諸国は既に軍艦にスクリューを用い始めた。50年代後期には、英国、フランス等の国はスクリューを有する蒸気船の建造を開始した。これと同時に、木造軍艦は次第に鐵甲艦や鋼鉄製軍艦に替わっていった。世界的に、海軍は新しい時代に入ったのである。

翻って中国では、第一次阿片戦争を経過し、進んだ中国人は「夷の長技を師として、夷を制する」というスローガンを出し、西洋式船舶を模造して、海軍を創設しようと建議した。しかし、20年近くの時間が経ち、西洋の「長技」は再び新たな発展があったものの、中国の「夷を師とする」ことはまだ本当には行動に移されてはいなかった。本来、中国は武器装備の上で、西洋国家に比べ大きく落伍していたが、この20年近くの中で全く為すところがなく、一切もとのままであり、本来西洋との間で存在した距離は一層拡大した。このように、中国の海防はすこしも強化されないばかりか、形勢は一層厳しくなっていくばかりであった。

第二次阿片戦争はさらに一層中国の全面的な海防の危機を暴露した。東南万里の海域は、いかなる保障もなくなった。外国の軍艦はついに中国の海の玄関を勝手に遊弋し、内河に進入し、要塞、砲台、城壁を攻撃し、城下の盟を強いて、國に寧日なく、民に太平なく、わが神州は國がまさに國たらざらんとした。強固な海防なくして国防なく、即ち中国の自立と自強も談じようがなかった。これは第二次阿片戦争がのこした主要な教訓である。列強による凌辱に対して、多くの朝野の人々は深く痛みを感じ、机を叩いて起きあがり、「洋器を制し、西学を採する」ことを大いに鼓吹し、林則徐、魏源の「師夷」思想を理論から実践に向かわせた。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION