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奕山が西洋船を模造しようとしたのに過ぎないのとは違い、魏源はさらに林則徐の「船砲水軍」を創建しようと言う構想を発展させた。造船廠や火器局の建設を建議したのみならず、「西洋舵師により、行船演砲の砲を司教せしめ、」「福建、広東の巧匠精兵をこれを習わしめ、工匠はその鋳造を習い、精兵はその駕駛攻撃を習い、」もって「西洋の長技を尽く得て、中国の長技となし、特に新式の水軍を募集し錬成する必要性を建議した。彼は「舟艦繕いたれば、必ず水師を練る」と指摘し、募集と錬成を通じ、新しい水師の兵は皆、胆力あり且つ各種の海上作戦の技能を掌握できる者を選び、「かならず中国の水師をして楼船を海外に駛らせしむべく、洋夷と海中に戦うべし」。彼の構想に依れば、この計画はまず広東省で実施して、広東から福建、浙江そして上海にいたり、「しかるの後、新修の火輪、戦艦を合わせて、新線の水犀の士とともに天津に集め、奏して大閲を請い、もって中国千年の水師未だあらざるの盛んを創る」。魏源が晩清海軍のために設計したこの計画図は、確かに十分壮観なものであり、しかも実施の条件は絶無ではなかったが、奕山が聖諭を奉じて制定した造船計画もなお実行中止のままであり、その建議もただ祭り上げられて、手つかずのままにされるだけであった。

 

 

 

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