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1888年の北洋艦隊成立時、同艦隊の規模だけで日本海軍を上回っていたことは周知の通りである。1891年のロンドンの新聞には、清朝海軍は世界第8位、日本は世界16位であった(337頁)。その後6年間で日本は毎年建艦を重ねていったが、清側はそのままだった。更に、ちょうど1894年が西太后の還暦に当たったので、その祝賀のための経費を浮かす為に、李鴻章は、1893年に予定していた、北洋艦隊の修理・増強計画を一年延ばしたが、これが結局致命的となった(334頁)。

もちろん、日本の海軍方増強は情報として清朝政府に報告されていたが、結局、清朝の宮廷内部に西太后を担ぐ保守派が存在し、李鴻章は、それに妥協をせざるを得ず、李鴻章は苦しい弁解を保守派と進歩派双方にしている。畢竟、北洋艦隊を、李鴻章は「保船制敵」といういわば「抑止力」としてしか捉えておらず、決戦を行う意図はなかったのであり、かかる戦略そのものが、敗北の主要な原因であったと著者は指摘している(466頁)。

筆者なりに理解すると、上述のように、著者は、海軍を近代の国家システムそのものを構成する要素であると主張し、その海軍という西洋近代の産物が、清朝という前近代的体制の中で、如何に発生し、成長し、挫折したかを、描こうとするものである。そして、その挫折の根本の原因は、前近代的体制の中で生きる指導者達の戦略観の欠如であり、決して近代的技術力や生産力の欠如だけではないのである、と主張しているように思われる。この論旨は、現代中国へのインプリケーションと言う意味で、非常に示唆に富む物である。

ただ、筆者が疑問に思うのは、そうした「近代的な戦略」は、皇帝システムのような前近代的体制に於いても生まれえるのか、あるいは、近代的な体制にしか生まれ得ないのか、著者は一体どう考えているのか尋ねてみたい問題である。林則徐や魏源のことを考えると、たしかに天下のことを知る有識者は、最も有効な戦略に気が付くはずだし、英明な皇帝ならば権限を有するので当然優れた戦略を採用できるはずだったかも知れない。

 

 

 

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