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また、日清戦争で清朝が敗北した主要な原因は、日本側に制海権奪取という戦略があった一方で清朝側は消極防御だけであったためだが、このような事態に到った原因は清朝が海軍は建設しても、戦略研究を軽視したためであると指摘している(474頁)。

最後に、日清戦争後、20世紀初頭の清朝海軍の復興計画については、マハンを学んだ中国人有識者の影響が大きいと指摘している(523頁等)。

こうした中国における戦略論の展開を舞台回しとしながら、阿片戦争、アロー号事件、清仏戦争、日清戦争等の主要な海戦と海軍整備の状況を相交えながら叙述を重ねていくのが戚氏の近著の特長であり、通史たる海軍史の醍醐味というものである。いずれにせよ、「阿片戦争以後、中国は列強の侵略にさらされ半封建半植民地社会に転落した」という教科書的なリニアーな図式理解では捉えきれない、より本質的な歴史の機微(これを戚氏は「歴史的機遇」と言っている)に触れられている。それは、敗戦を繰り返しながらも、息長く海軍の建設を行っている大国の姿であった。

 

(2)次の特長は、その歴史の機微の本質は、指導者の資質にあることを示している点である。人物評価は、中国の歴史記述の特色であるが、同書もその例に漏れない。

西太后の頤和園建築のための海軍資金の流用を算定しているが、本書の実証的な態度はそれによくあらわれている。清朝の夏の離宮として知られている頤和園の建築に、清朝は1100余万両を用いたが、そのうち860万両が海軍経費の流用であった(331頁)。頤和園の昆明湖で、八旗子弟の水練を行うという名目で、海軍の経費の流用を行った。又、他の庭園工事に使った460万両を加えると、海軍経費の流用は少なく見積っても1300万両になる。北洋艦隊の主力艦の定遠、鎮遠等7艦を英、独から購入するのに778万両かかったので、流用を阻止すれば、北洋艦隊のほぼ倍の規模の艦隊が整備できたはずであった。

 

 

 

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