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また、90年代は、沿海部の工業発展とそれに伴う資源確保の必要性から、「領海法」の制定(1992年)や海空軍力の強化を主張したいわゆる「劉華清論文」の発表(1993年)に見られるように、海上権益や海軍戦略に本格的な注目が集められていった。マハンの海軍戦略論が本格的に再紹介・再認識されたのも90年代である。

マハンが中国に紹介されたのは決して新しいことではない。既に、清朝末期、一部の有識者はしきりにマハンを取り上げて、日清戦争により全滅された北洋海軍の復興プランに大きく影響を与えた。

しかし、中国海軍はその後種々の原因から発展が阻害されたこともあり、海軍戦略は大きく取り上げられる事はなく、日華事変当時に至っては、1939年、重慶政府により海軍を一切放棄する「海軍無用論」すら提唱された。

その重慶政府の海軍無用論に、蔡鴻幹氏は、海軍系専門誌の編集者として反対を示し、マハンの「海軍戦略論」(Naval Strategy)を1941年に別の訳者が抄訳したものを発表させ、又、「海軍無用論」のあおりを食って同雑誌が休刊になると、太平洋戦争の海戦について新聞紙上でマハンを引用しながら解説するという連載をおこない、大いに人気を博した。日本の敗色が濃い1945年春には、同氏は全訳書を中国海軍の助けで出版している。

ところが、再び、「海軍戦略」はお蔵入りとなった。マハンに対する中国の評価は、現在でも基本的には「ハワイ、フィリピンの領有を主張した米帝国主義者」というレッテルであり、上記の中国国内での「洋務運動」ですらその評価は厳しいものであったのであるから、ましてマハンの著作は改革・開放路線の以前の時代にはとても公にできるものではなかったのである。中国政府は、「超大国による海洋覇権闘争に反対する」ということを屡々表明している(1982年の胡耀邦の第一二回党大会報告等)ように、「第三世界」を支持する立場からも、海軍戦略的な政策や考え方に対し公式に反対している。

 

 

 

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