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二 現代中国史とともに変遷した洋務運動と清朝海軍の評価

 

「洋務運動」は中国の近代史そのままに、評価が変遷している。中国の公定イデオロギーを形成した胡縄により、1948年に著された「帝国主義と中国政治」の中で、「洋務運動」とは「帝国主義のために服務して国内人民を鎮圧する」ものであり、「侵略者のために道路を開く任務を尽くしたに過ぎない」と評価している。この評価は、その後長く受け継がれることになる。

50年代には、比較的安定した状況の下で、未公刊資料の整理や基礎資料の編集が行われ、1961年には中国科学院等により「洋務運動」(全八冊)が完成した。60年代の初頭には、「百花斉放」の下で、洋務運動の性質や日本の近代化との比較について、唯物史観に照らしてどう評価するべきか、学術的な論争が行われた。

「文化大革命」の時代、洋務運動は、「洋奴哲学」の下での売国的行為と単純化され総括され、実証研究は進めようがなくなった。これらは張春橋らの極左イデオロギーの反映であることはいうまでもない。

文革が終わり、1978年に中国共産党第11期3中全会が開催され、トウ小平の復権が確定し、改革開放路線がスタートすると、徐泰来(洋務運動新論」)のように洋務運動を近代化のための運動として捉える動きが現れ始めた。これに対しては、もちろん、張國輝(「洋務運動与中国近代企業」)のように反対の意見もあり、洋務運動の本質が、「愛国的」であるのか「売国的」であるのか、諸説紛々とした。「洋務運動」について1979年から9年近くで500篇近い論文があらわれた(注 参考文献(3)による)。当然のことながら、この論争の背景にはトウ小平がすすめる改革開放路線の位置づけが深く関わっていたと考えるべきである。

 

 

 

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