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阿片戦争時代の林則徐、魏源らの先覚者の思想を実現しようとした曽国藩、左宗棠、李鴻章、張之洞らのリーダーに支えられ、清朝は一時「中興」するに到った。

「洋務運動」の主要な内容は、単に外国からの近代的産業技術の導入のみならず、工場(江南機器局)の開設や鉱山の開発並びに鉄道、電信(天津電信総局)の敷設等の大規模な投資が行われ、また中央銀行の設置(大清銀行)等の経済システムの改革が行われた。また、政府の制度にも改革が行われ、外交担当部局(内閣総理各国事務衙門)や大使館の設置など近代的外交システムが導入されたり、近代的大学(京師大学堂)の開設など教育システムが導入された。

そうした「殖産興業」の動きの他に、この「洋務運動」を構成する要素として、1888年の北洋海軍の設置を頂点とする海軍の設置は無視できない。1895年の日清戦争による北洋海軍の壊滅が、「洋務運動」自体の終止符を打ったことからみても、海軍の存在は「洋務運動」の展開にとり戦略的、政治的に重要であったことはあきらかである。

近代的海軍という、産業革命後の高度な技術力に支えられたシステムを、産業革命以前のアジアにどう構築するか、その戦略はどうあるべきか、課せられた課題は、李鴻章と勝海舟と共通していたが、その結果は大きく異なったことは周知の通りである。清朝は、20余年の努力で海軍を建設したが、巨艦・定遠、鎮遠を擁しながらも日清戦争でなぜ敗れたのか、この歴史の問いに、実証的に答えようというのが、最近中国で出版された戚其章氏(山東社会科学院)の「晩清海軍興亡史」等の研究成果である。

 

 

 

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