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ジョージ(Alexander L. George)は、1961年のラオスの事例、1962年のキューバ・ミサイル危機のおける海上封鎖(Quarantine)、1965年のベトナムの事例から敵対者が現に採っている行動を中止または変更させるために防衛的に採用する極めて限定的な軍事力の使用を含む戦略を強制外交として提起した。ケーブルは1946年のギリシャ共産革命に対する米戦艦の展開、1955年及び58年の第1次及び第2次台湾海峡危機における米第7艦隊の派遣等の事例から、特定の政治目的達成に対する限定的な海軍力の使用の有用性を主張する。これら、限定戦争論にせよ、強制外交、砲艦外交にせよ共通する重要な点は「特定の攻治目的」達成のために軍事力を使用するのであり、この際「相手とのコミュニケーションを維持」、すなわち政治的シグナルの交換し続けることが極めて重要であるとしている点である。このように明確に定められた政治目的を達成するために、相手とのコミュニケーションを維持しつつ、常に政治的考慮の下で実施される軍事力の使用を「軍事力の限定使用」と呼びたい。戦争における軍事力の使用は、敵の抵抗力を喪失せしめるためであるが故に敵とのコミュニケーションを維持する必要はなく、敵の抵抗力を喪失させるまでは政治的考慮を必要としないのである。これに対し、「軍事力の限定使用」は特定の政治目的を達成するためのものであるが故に政治的使用であり、相手の心理に作用し、意志の変更を促そうとするが故に心理的使用である。自国の領域と国民を防衛することを含め政治的問題を解決するために敵の抵抗力を喪失させることによって自己の意志を強制しようとする戦争とは根本的に異なる軍事力の使用形態である。

そして、「軍事力の限定使用」に関する論が米国を中心に発展してきたのには理由がある。第2次世界大戦終了後、米国は「より短い通信・兵站線を有するのみならず、安定した世界のインタレストを蚕食する徴候のある地点ならどの場所でも、自らの選ぶ時と所で、自らの選ぶ争点に対して、その対応を強いることができる*17」ソ連に対して封じ込めの戦略を採用したからである。すなわち、米国はソ連に「内線の利」を与え、太平洋及び大西洋を隔てたリムランドに位置する国々との同盟を維持するという「外線戦略」を採用したのである。

このような安全保障環境は明らかにマハンの時代のものとは異なっており、マハンの時代の要請に基づいたシーパワーの概念が終焉を迎えたのは当然であった。新しい時代の要請の中で、従来の考えに立つ海軍に対して「なぜ、我々は海軍を持たなければならないのか。…誰が海軍が戦うよう計画するのか。陸、空軍を除いて戦うべき敵はいないではないか。…次の戦争において海洋において戦うということはばかげた想定である*18」という疑問が投げかけられたのも当然と言えよう。米国では、1949年、下院軍事小委員会において「提督の反乱」と呼ばれた海軍対他の軍種間の論争が展開された。その回答は、小委員会ではなく、それ以後の国際攻治の場で出されたのである。

 

 

 

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