その第二は、1970年代に工業化を達成した先進国と第2次世界大戦後にとりあえず政治的独立は達成したものの近代化、工業化の初期段階にある旧植民地間の南北問題である。第三世界と呼ばれる開発途上国は、政治的にはかろうじて独立を果たしたものの、経済的には依然、先進国の支配下にあるとの不満を持っており、南北間の経済格差の拡大とともにこの不満も拡大していった。そして、これら開発途上国は、政治的に不安定であり、指導者は第三世界が南北問題解決のために先進国との交渉の手段として軍事力を使用することは合目的的と考え、軍事力の使用が増加する傾向にあった。さらに、テロリストのグループは既成の秩序破壊のために暴力の使用を拡大しており、その対象とされたのが先進国の市民であり、その財産であった。しかも、先進国の経済発展に不可欠の資源、石油あるいは希少資源等はこれら第三世界に偏在していた。さらに、第三世界の先進国に対する軍事力の使用を含めた異議申し立ての行動は、ソ連によって支援されている場合が少なくなかった。したがって、海外の自国民及び資産の保護、天然資源への自由なアクセスの確保等に対する軍事的な脅威に直面した先進諸国は、同時にソ連からの圧力にも直面していたのである。したがって、南北問題に基づく軍事的脅威への対処と全面核戦争への発展の防止というジレンマの中で、限定戦争論あるいは強制外交、砲艦外交の論が展開されたのは当然のことであった。
キッシンジャー(Henry A. Kissinger)は「戦争はもはや政策の具としては考えられない。したがって国際紛争は外交によってのみ解決しうる」という考えに反論して、「これまでの国際的解決が、全く理性と交渉技術によってもたらされたということは、後生の錯覚である。主権国家の社会では、国家は最後の手段として力を用いるという意志によってのみ、自国の正義の解釈を擁護し、自国の「重要利益」を守ることができる*14」として「特定の政治目的のため…相手の意志を押しつぶすのではなく、影響を及ぼし、課せられる条件で抵抗を続けるより魅力的であると思わせ、特定の目標を達成せんとする」限定戦争が可能であるとした*15。さらに、マクナマラ(Robert S. McNamara)が「こちらの意志と政治目標を限定して、相手側にとって、嫌々ながらも受諾しうるようにしなくてはならないし、相手側とコミュニケーションを保つことによってそれを可能」にする戦略を策定することによって軍事力と外交政策の再統合*16、すなわち、外交政策を支援する軍事力の使用を可能にしたのである。