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3 冷戦期の海軍

 

マハンが分析の対象とした17、18世紀は国際的パワーの分配をめぐって、スペイン、オランダ、フランスそしてイギリスといった海洋国家群が抗争した時代である。すなわち、マハンのシーパワー論は海洋国家群の存在を与件として受け入れているのである。しかし、日本海軍がレイテ沖に沈んだ後、国際的安全保障環境は大きく変化した。第2次世界大戦後の国際社会の構造は、マハンが想定したような国際的パワーが海洋国間で分配されるという海洋国家群の対立ではなく、むしろ地球上の陸地を支配する国及びその同盟者と海洋を独占する国及びその同盟者間で分配されており、決定的な行動の場は海洋から陸上へ、それも大陸の心臓部ではなくむしろ、人がリムランド、周縁部と呼ぶその沿岸部へと移動しており、冷戦期の決定的戦闘及び将来に於ける戦争は公海上ではなく、この周縁部で行われるだろう。西側の海洋力とソヴィエトの大陸の於ける卓越の対立は制海権をめぐる大艦隊の抗争というマハン流のシーパワーの概念の終焉を意味している*10

しかし、マハンが指摘した大艦隊による決戦を不可能としたのは、先に述べた冷戦期の国際政治の枠組みの変化だけではなかった。冷戦期の重要な次の特徴を見落としてはならない。その第一は核兵器の出現である。ブリーマーは、核兵器の出現によってクラウゼヴィッツ(Karl von Clausewits)の戦争は他の手段をもってする政治の継続という概念が否定されたとしつつも核兵器といえども海軍戦時にボトム・アップ的に影響を及ぼす技術革新の1つに過ぎないと主張する*11。しかし、核兵器の出現は国際政治の在り方そのものを変える*12とともに軍事力の使用のあり方にも影響を及ぼした。クラウゼヴィッツは、「戦争は、敵を屈服せしめて自分の意志を実現するために用いられる暴力行為である」であるとした。すなわち、自己の意志の実現を図るために、敵の抵抗力を喪失させることが当面の目標として設定され、この目標達成のために自己の軍事的努力を敵の重心に向かって集中することが求められる*13。ここでいう敵の重心とは、敵の首都、政治的指導者あるいは敵軍の主力であり、海上においては敵主力艦隊である。したがって、シーパワーの争奪においては、マハンが主張するように艦隊決戦が重要な意味を持ちうるのである。しかし、核兵器の破壊力は、それ以前のいかなる兵器とは比較にならない破壊力を有しており、一旦使用されれば敵のみならず、人類と文明そのものをも破壊しうるのである。さらに、いかなる軍事力の使用も全面的核戦争へ発展するという考えは、領土と国民の生存を守るという死活的目標を追求する事態を除いては軍事力を使用してはならないと言う確信を深めさせたのである。この意味において、ハンチントンが指摘するように艦隊決戦思想に基づく海軍が存立の基盤を脅かされたことは、ある意味で当然の時代の要請と言えよう。

 

 

 

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