2 海洋の意義:マハンの時代と今日
サー・ウォールター・ローリー(Sir Walter Ralegh)が海洋を支配する者は世界を支配すると言ってから約300年後、マハンは、海洋を政治的、社会的視点から見て偉大なハイウェイあり、一大公有地と認識し、人は通商路と呼ばれるこの海というハイウェイを通ってあらゆる方向へ行くことができる*3としたのである。そして、海洋という通商路によって連接された生産、海運及び植民地によって国家は繁栄していくと理解したのである。したがって、彼は海軍力(naval Power)ではなく、通商と海運を含めたシ―パワーを新たに提起したのである。
シーパワーの連鎖を構成する3つの要素のうち、植民地は1945年を境として、1970年代には相次いで独立する一方、植民地を獲得することは許されなくなってきた。しかし、旧植民地を含め、現在はより多くの地域を原材料の供給地及び生産品の市場として国際的な経済活動が行われていることから、植民地を市場及び原材料供給地と読み替えれば、シーパワーの連鎖は今日も十分に意味を持ちうる。
マハンの主張の一つの柱であった自国商船による通商は、第二次大戦終了後少なくとも次の二つの要因からその環境が大きく変化した。その第一は、便宜置籍船の増大である。1949年、世界船腹量の4.2パーセントであった便宜置籍船は、1950年から急増し、1955年にはリベリア及びパナマ船籍のものだけで世界船腹量の15パーセントを占めるようになってきた。1987年には便宜置籍船腹量は世界船腹量の約35パーセントを占めるまでになってきた。英国では1982年から86年の間英国商船隊は2,300万トンから1,150万トンをわずかに越えるまでに減少した。米国では、米国の港湾に入港するバルク・カーゴ船のうち、米国籍船は5パーセント未満である。わが国では、日本商船隊*4は1985年、1億重量トン余を有していたものが、1996年には約9,900万重量トンに減少し、そのうち日本船のトン数は、5,500万重量トン余から2,000万重量トンをきるまでに激減している。このように便宜置籍船の増大、自国籍船の減少はマハンが言う海運業を自国の船舶で行い、海軍の第一義的役割はこれらの船舶を保護するとした想定は現在では明らかに妥当しなくなっている。すなわち、自国の経済を発展させるはずの自国商船隊は安全保障上の考慮からではなく、経済原理の優先からランニング・コストの低い便宜置籍船隊によって取って代わられ、マハンが主張する海軍存立の基盤である自国商船隊そのもの縮小してしまったのである。したがって、この視点から見る限りマハンが主張したような海軍存立の理由は薄弱となってきたと言えよう。さらに、守るべき対象が曖昧になってきただけでなく、海軍による保護を必要とした自国商船隊に対する脅威そのものも減少してきた。