海洋国家連携論
デモクラシーと自由貿易のために
防衛大学校 教授 平間洋一
はじめに
サミュエル・ハンチントン(Smuel P. Huntington)教授は『文明の衝突(1)』において、21世紀には文明の衝突が起こり、中国、インド、日本が同盟してアングロサクソン諸国との戦争に発展すると書いている。しかし、科学技術などの進歩による異文化間の交流の増加や、マスメディアなどの影響により、ヨーロッパ連合が出現し、ヨーロッパ連合中の11か国が共通の通貨を保有したことが示すとおり、民族や国家の相違による社会体制などの差違は徐々に減少し、世界の価値観(民主主義と自由貿易システムの政治社会体制を意味し、本論ではこれらの価値観を文明という意味を含めて使用する)は、アングロサクソン民族に代表される海洋的価値観(文明)と、ロシアや中国に代表される大陸的価値観、それに不毛の砂漠に生まれた極めて厳しい砂漠的なアラブの価値観と、3つの価値観に収飲するのではないであろうか。現在のアジア・太平洋地域の冷戦後の安全保障環境は、ヨーロッパに比べて極めて不安定であり、その複雑性と流動性が問題であるが、このアジア・太平洋地域の安定と平和に不可欠な日米中の関係を、大陸国家と海洋国家の価値観、地政学(Geopolitik)と歴史的尺度という3つの視点から考えてみたい。
1. アジアにおける安全保障体制の現状
現在のアジア・太平洋地域の現状維持を揺るがす要素の多くが、自己中心的な世界観と清帝国時代の朝貢国までもが、中国古来の領土であると主張する独特の歴史認識を持つ中国の領土欲に起因している。中国をめぐる現在の世界情勢は、中国市場に対する過大期待に伴う西欧列強の利権獲得競争、中国市場の西欧諸国と異なる商業的規定の曖昧さなど、明確に定義された国際秩序が存在せず、また、中国が西欧的な安定した政治システムを持っていないことに問題がある。権力闘争は今も昔も個人であり派閥であり、1930-40年代の軍閥時代と同じように、法律による「法治社会」でなく、権力を握った人による「人治社会」である。このため、人権は無視され軍事力を押さえた者が権力を握り、民主主義は存在していない。特に、懸念されるのが領土の現状維持という国際秩序の基本が、中国のナショナリズムによって揺れていることである。1920から30年代の中国にも情熱的なナショナリズムが沸き起こり、それがアジア・太平洋の現状維持というワシントン体制を崩壊させたが、今日の中国も冷戦構造の崩壊後は共産主義イデオリギーは後退したが、代わってナショナリズムが高まり、それが台湾解放宣言、西沙・東沙群島の武力占領、南沙群島をめぐるフィリピンとの摩擦となり、尖閣列島の領有権の主張となるなど、中国の領土膨張願望がアジアの脆弱な安定を覆す可能性を高めている。
この不安定なアジア・太平洋地域の安全保障の枠組みをみると、アジア・太平洋地域の諸国は歴史的、政治的、文化的な差異が大きく、相互に民族問題や領土問題などを抱え、さらに軍事的条約や機構などを創設することにヨーロッパにはNATOおよび全欧安全保障協力機構(OSCE)、アメリカ大陸には米州機構(OAS)、アフリカにはアフリカ統一機構(OAU)などの国連憲章に規定された平和及び安全の維持に関する地域的取り決め(Regional Arrangement)があるが、アジアにはこのような国連の平和維持機構さえ見られない。これら弱体なアジアの安全保障体制の中で比較的に機能しているのが、マレーシアとシンガポールの防衛をイギリス、オーストラリア及びニュージーランドがコミットした「5か国防衛取り決め」であった。しかし、最近ではマレーシアが共同訓練を取りやめるなど不調和音も聞こえている。このほかに東南アジア連合(ASEAN)の加盟6か国に加えて、日本、アメリカ、欧州連合などのほかにロシア、パプアニューギニアなど18か国が参加するアジア地域フォーラム(ARF)や、アジア・太平洋経済協力会議(APEC)などがあが、最も成功していると言われるARFでも、経済、文化、教育の協調は高らかに唱っているが、軍事的な枠組みや制度の構築を回避しており、安全保障体制としては低い次元にとどまっているのが現状である。