日本財団 図書館


船長がブリッジにきたとき、彼と一等航海士は手錠をかけられた。それから海賊達は、船員達を一度に呼び、暴行し手錠をかけた。海賊達は、二等航海士を撃ち、船長の金庫からお金を盗み、船員の私物を奪った。彼らは、船の大部分の価値のあるもの、証明書、食料の蓄え、ポータブルVHFまでも奪った。立ち去る前に、すべての通信装置が、海賊達によって壊された。船員達は何とか逃げ出し、当局にこの事件を通報した。タイ海軍の軍艦が到着し、怪我をした二等航海士を治療するため、プーケット島に向かった。

 

フィリピン

1998年4月4日、貨物船バージン・パール号は、インドネシアへの処女航海を終えて、ダバオに戻る途中であった。船は、缶詰とドライフードの積み荷を積んでいた。ササ港のフィリピン沿岸警備隊は、「船は浸水しているが、15名の乗組員と9名の乗客は無事である」との船長からのメッセージを受け取った。船長は、日本に向う船が助けにくるとも報告した。

その2時間後、沿岸警備隊は、「全ての乗組員と乗客は無事であり港へ向っている」という日本船の船長からと思われる別のメッセージを受け取った。それが沿岸警備隊の受けとった最後のメッセージであった。当局の検査によって日本の海にもロイズ保険に登録されたリストにも、その様な日本船は存在しないことがわかった。バージン・パール号は、本当は、海賊によってハィジャックされたのではないかと疑われている。結果的に、二つの遺体がマレーシア海のある島の沖を漂っているのを発見された。彼らはバージン・パール号の船員であることを示す身分証明書を持っていた。1つの遺体は、ひどく虐待された跡を残していた。船と残りの船員や乗客の安否は不明である。フィリピン当局はこの事件を捜査中である。

 

フィリピン

この年の初頭に、海賊達がモロー湾とチングラン島で、22名の漁師を撃ち殺した漁師の中には、ハイジャッカーの身代金要求に折り合わなかったため、処刑されたものもあった。その結果、フィリピン当局は、この地域の海軍によるパトロールを強化した。

 

パプワニューギニア

1998年3月3日、緯度02度24分南、経度147度36分東(MI近辺)の位置で、リトルスワンと言う名のオーストラリアのヨットが、カヌーに乗った二名の女性が野菜を売りにきたので乗せようと止まった。ヨットが止まったとき、7名から9名の武装した若者が乗り込んできた。若者たちは、ナイフと斧で武装しており、貴重品を要求した。およそ4000オーストラリア・ドルの価値がある品々が盗まれた。船長はダイバー・ナイフを使い、彼を数か所刺した若者の一人と格闘し、怪我を負った。その事件は当局に報告され、船長はマヌ島で治療を受けた。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION