船の乗組員は、海賊達が部屋に到達する前に、今回をもどうにか追い払った。その1時間後、海賊による攻撃失敗に関わらず、刀で武装した海賊が多数乗りこんだ他のボートが、錨の鎖に向っているのが目撃された。デッキの上で乗組員達は、水を使い、ボー卜を追い払った。
ソマリア
ベリーズ船籍のアルファ・BG号は、1998年1月13日、25人の武装した男に攻撃された。それは、その船が曳航されているときであった。ブルカリア船の11人の乗組員と、シリア船の22人の乗組員が、曳航中に人質となった。武装した海賊は、乗組員と船の返還のため、身代金を要求した。ブルガリア国民は、国連とソマリアの赤十字に助けを求めた。
1998年第2四半期
南シナ海
ペトロ・レンジャー号は、ベトナムへ向けて、ガス油と灯油の積み荷と共に、1998年4月16日、シンガポールから出港し消息を絶った。国際海事事務局(IMB)海賊センター(PRC)は、全ての船舶に警告放送を発し、その地域の港と海事局に、国際海事事務局(IMB)特別警戒を発した。マレーシア、フィリピン、シンガポール、オーストラリア当局は、その船を精力的に捜索した。
航行後、九時間がたち、その船は12名の武装した海賊に乗り込まれ、中国の海南島に向かうよう、乗組員が強制されたことが後にわかった。海賊の支配下にあった22名の乗組員たちは、殺すと脅され、10日もの間、汚い部屋に監禁されていた。
地元当局は、その船が密輸に関わっていたと断言した。当局は、インドネシアの旅券を携帯していた12名を海賊容疑で尋問した。また当局は、二週間以上に渡って乗組員を留置し尋問した。しかしながら、1998年10月15日に、明白な証拠があるにもかかわらず、船をハイジャックしようと攻撃し、その積み荷を売ろうとした海賊達は、起訴されることなしに、インドネシアに送還されただけであった。
このペトロ・レンジャー号事件は、今年(1998年)のハイジャックの代表的な事件である。この事件が重要なのは、海賊の容疑者や、その船と積み荷が無傷で発見されたにもかかわらず、海賊達は起訴されず、本国に送還されたことである。
こうしたことが繰り返されれば、海賊行為は、決して無くならないと、当海賊センターは確信している。裁判管轄権などを通じて、海賊が困難な事態を脱することができると知ることは、海賊行為を助長するに違いない。
タイ
1998年5月10日、リトアニア船籍の船アルギルダス号は、緯度09度04分北、経度098度56分東の地点で、海賊に攻撃された。午前3時15分、約10から15名のフェイス・マスクと軍服を着て武装した男たちが、高速船から乗り移った。彼らはブリッジに入り、一等航海士を攻撃し、船長を呼ぶように強いた。