ただし、これらは主要な海峡の北側を通過する。9自然災害と異なり、衝突や座礁などの事故は、慎重な操船やマラッカ海峡における航路帯の区分などの措置によりこれを減少させることが可能である。それでも、石油の流出などによる海洋汚染は、輸送船舶で混雑した同地域のSLOCsには重大な問題である。
海賊は、ASEAN地域のSLOCsに現実の危険をもたらしている。これは、単に船員に危害が及ぶばかりでなく、同海域の交通量に鑑みそれは他の船舶への妨げにもなる。第5図は、アジア太平洋地域における海賊出没の多い「ホット・スポット」を示している。海賊に関する国際海事局(IMB)の統計を示す第3表に見られるように、1992年と93年には、世界で起こった海賊被害の3分の2がアジア太平洋地域に集中していることがわかる。第4表が示しているように、1994年に起こった世界の海賊攻撃87件に対し、実に71件がこのアジア太平洋地域で起こっている。第6図は、1994年に起こった海賊攻撃の海域別頻度を示したものであるが、残念ながらその勃発地点まで特定されてはいない。
1992-90年になって件数が極端に増加した後、以下に述べるマラッカ海峡における新しい協力のイニシャティヴによってシンガポール海域の海賊事件の件数は大幅に減少した。しかし、1992年から1994年初頭にかけて、海賊事件は、香港からルソン島、海南島を結ぶ海域(HLH)や南シナ海、東シナ海域へと大きくシフトした。同地域の海賊行為は、よりあからさまで準軍事的な規模をもち、軍服を着た中国人が、パトロール・ボートに乗って銃撃する事例が多く見られた。北京政府は、結局、(軍隊ではない)同国の税関公安局の「はぐれ者たち」(rogue elements)の仕業であることを認めざるを得なかった。10(これは、おそらくは、中国政府の密輸取り締まり強化の成果でもあり、また、地方の官吏が捕獲した密輸品の半分を接収できるという事実を反映したものでもある。)しかし、他の国々から見れば、これらの海賊事件は中国の領土拡張志向(とくに、南シナ海、東シナ海、尖閣諸島など)の表れという懸念が残る。もしそうであれば、中国政府はかかる戦術を再考するか、かかる地方の「不良」官吏たちを適切なコントロール下に掌握せねばなるまい。この点、国際的な圧力は明らかに効果を発揮した。
ロシアは、1992年の終わりから93年の初めにかけて東シナ海で発生した自国に対する20件の海賊事件の内17件を目撃した後、1993年の半ばには海軍艦艇を派遣しこれらの海賊を鎮圧した。また、1991年から93年にかけて発生した78件にのばる中国による外国船舶への侵入や攻撃事件をめぐり、日本政府は、93年2月に来日した中国外相に対し、両国沿岸警備当局による東シナ海における船舶航行問題に関する協議を行うよう提案した。中国政府は、非公式の協議を同年6月に行うことに合意、日本の海上保安庁との間にホットラインを開設することを決めたが、翌年には同種の事件は一件に減少した。11他の海域では、1994年5月に香港領海内で起こった中国による船舶接収事件が、結局、中国政府をして謝罪せしめ、事件の再発防止を誓約せしめた。
9 Ibid., p.14.
10 Far Eastern Economic Review, Asia 1995 Handbook, pp.62-63.
11 See "China's New Law of the Sea," cover story in Far Eastern Economic Review, June16, 1994, pp.22-28.