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しかし、1992年から1994年初期にかけて、海賊行為の発生地域が香港・ルソン・海南島、南シナ海や東シナ海へと大きく移行したのである。さらに、この地域の海賊行為はよりあからさまな準軍事的な規模で起こっており、その主体は、多くの場合、制服を着装し、警備船に乗った中国人である。中国政府によれば、こうした海賊行為に及ぶ中国人は中国軍に属するものではなく、中国税関や公共安全局の「悪漢」分子だということである。(こうした事実は、中国政府の推進する「反密輸」構想による圧力、および地方の役人が差し押さえた「密輸品」の大半を自ら横領できる、ということを反映したものとも考えられる。)

 

他のアジア諸国は、こうした「海賊行為」が実は中国政府による領土外主権の行使、とくに南シナ海、東シナ海、尖閣諸島地域における主権の行使、拡張的な海洋領有権の主張ではないか、との疑念を抱いている。かりにそうだとしても、実際は中国はこうした戦術を見直し、あるいは地方の「悪漢」役人の統制を強化している。この背景には明らかに国際的圧力が役割を果たした。1992年後半から1993年初頭にかけて東シナ海で明らかにロシア船を狙った海賊行為が17件(合計では20件)生じ、1993年の半ばロシアは同地域に軍艦を配備し、ロシアの海運に対するいかなる脅威にも攻撃を加えるよう命令を下した。このため、こうした海賊行為はすぐに止まったのである。

 

また、日本からの圧力もある。1991年から93年にかけて生じた78件の海賊行為は、中国人による乗っ取りや発砲による被害で占められていた。このため、日本政府は1993年2月、当時日本を訪問中であった中国外相に両国の沿岸警備当局による東シナ海の海運問題の協議を提案したのである。これに対し、中国政府は1993年6月に「非公式」協議を開催することに合意した。この協議により、中国政府は日本の海上保安庁とのホットライン設置を決定し、その結果、翌年には海賊事件は一件へと減少した。また、1994年には香港領海内で中国による船舶拿捕未遂事件が起き、中国政府は謝罪するとともに、同様の事件が将来再発しないことを約束した。しかし、1994年の時点では香港・ルソン・海南島地域で依然海賊事件が多発し、インドネシア領海では1993年から94年にかけて2倍の海賊事件が発生したのである。さらに、1996年になっても海賊事件は増加した。こうした海賊行為の増加傾向は、場合によっては、地域的の安全保障に対して多大なインプリケーションを持っていると言えよう。

 

しかし、アジア太平洋諸国間の協議と協力によって、こうした海賊行為の鎮圧を促進することは可能である。実際に、マラッカ海峡とシンガポール海峡では、近年の近隣諸国間の国際協力と具体的な協調的措置によって、海賊行為は激減した。1992年10月には、国際商業会議(International Chamber of Commerce)の国際海洋局(IMB〕は、海運業および他の関連産業界、国連海洋機構と法執行機関の支持を受けて、クアラルンプールに地域海賊センター(Regional Piracy Center)を設立した。同センターはスリランカ以東から東南アジア・極東地域を網羅し、情報・報告センターおよび地域内の法執行当局との連絡役としての役割を担っている。しかし、同センターそのものには法執行能力はない。

 

1992年の夏、シンガポールとインドネシアは海軍相互の直接的な交流関係を構築し、シンガポール海峡の海運交通ルートを海賊から保護することで合意した。この合意には国境を越える事項の調整に関する条項も含まれている。

 

 

 

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