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アメリカの海上防衛に対するオーストラリアの貢献

アメリカは、依然として、海軍力における本来の有利さを最大限に発揮するために、基地と同盟を必要としている。西太平洋における補足的なアメリカとオーストラリアの防衛努力は、公海の自由航行だけでなく地域的な国々の独立を守る力の均衡に貢献している。

冷戦の間、オーストラリアとアメリカの同盟は、ソビエトが大陸を支配することを抑止してきた。海事力の世界的鎖の、欠く事のできない命綱であった。東南アジアと南西アジアにおいて、オーストラリアは、東南アジア及び南西太平洋地域における軍事的にも、政治的にも、戦略的にも、協力関係の重要な戦略資源であったのである。ソビエトに対抗するためには、オーストラリアのような遠くの国との同盟関係は、海軍力を展開させる機動性を確保する上でも、重要な役割を果たしていたのである。

 

海のチョーク・ポイント

1970、80年代に、ベトナム戦争後のアメリカの戦略的麻痺状態は、イギリスの東スエズからの撤退だけでなく、ソビエトをウラジオストークからインド洋に招く結果となった。モスクワの青い海への野心に対する西側の反応に貢献するために、オーストラリア王立空軍(RAAF)の対潜哨戒機P-3オライオンは、マレーシア半島の北にあるペナン島近くのバッターワースのRAAF基地から軍事行動をとりはじめた。このゲートウェイ作戦は、東インド洋と南シナ海の各地の同盟軍による監視を提供しつづけた。これらの協定は、アメリカとオーストラリアの海軍間の1951年の「RADFORD-COLLINS合意」を強化した。この合意はインド洋と南西太平洋の海上防衛を強化するために締結されたものだった。

アメリカとオーストラリアの同盟関係は、シンガポールを含む東南アジア諸国のより価値ある安全保障パートナーとなり、オーストラリア空軍の練成訓練にも寄与した。勿論、シンガポールは東南アジア海峡にまたがる決定的戦略拠点に位置している。東南アジアにおけるアメリカとの戦略的取決めを守ることを決めたシンガポールは、アメリカとの長期防衛関係を構築した。1992年のフィリピンの米軍基地閉鎖以降も、シンガポールはアメリカ軍に重要な兵たん施設を提供した。1998年初頭、シンガポールは、2000年に運用を開始するチャンジ海軍基地は、米軍輸送機を収容するために特別に建てられた埠頭を含むと宣言した。

オーストラリアのシンガポール・マレーシアとの長期防衛関係は、五大防衛協定(FPDA)の下でも継続される。この安全保障の傘は、マレーシア・シンガポール間の安全保障を円滑化し、両国の相違を改善する。FPDAの最も重要な要素は、オーストラリア王立空軍の高級将校が指揮する統合防空システム(IADS)である。

オーストラリアとタイ・フィリピンの防衛関係は、1954年のマニラ条約(現在でも有効)まで逆上る。オーストラリアはまた、アセアンでも最も重要な海上チョーク・ポイントにあるインドネシアとの1995年12月協力を審議している。

 

 

 

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