1996年4月の日米安全保障共同宣言と、1997年9月に改定された日米防衛協力のための指針(ガイドライン)は、冷戦後の日米同盟が希求した必然的改良というべきである。こうした日米同盟の強化の動きは、東アジア、日本、韓国に展開している十万の兵力展開を補完している。
1998年11月の国防白書(東アジア太平洋地域の安全保障戦略)は、地域の同盟関係を、地域的安全保障環境を形成する上で活用しようという、アメリカの決意のシグナルである。
アメリカとオーストラリアの同盟関係を強化する上で、1996年7月のシドニー声明は、東アジアの安全保障における、冷戦後のアメリカのコミットメントを示す画期的な出来事であった。シドニー声明は、中央オーストラリアにおけるPG防衛共同施設を維持する協定の延長と、共同軍事訓練を拡大させることを謳っている。これらの共同訓練は重要である。なぜなら、アメリカはオーストラリアに戦闘員を維持していないからである。「タンデム・トラスト」演習は、1997年3月に五千名のオーストラリア兵と共に訓練する一万七千のアメリカ軍とで、北クイーンズランドにおいて行われた。
これは過去20年間にオーストラリアで行われた最大の共同訓練であった。この同盟関係の画期的な強化は、オーストラリアがアメリカの安全保障の海上基盤への貢献を支えている。
アメリカの安全保証の海上基盤
アメリカは、戦略的思考を地球的な規模で考えなければならない。その戦略的関心事項がヨーロッパにあるアメリカ人の中には、地勢的にアメリカは中国と同盟すべきと考えがちな者もいる。アメリカは、アジア大陸における戦略構想を持たず、歴史的に、弱い中国を侵略した日本とロシアの両方に対峙していると考えている。
この考えは、アメリカの安全保障の海上基盤を理解する事ができない。アメリカは、潜在的に敵意のある力による東アジアの覇権に反対しなければならない。中国は、その有力な候補者である。巨大な海の堀によって守られているにもかかわらず、アメリカは、対岸で戦略的に起こる事を無視できない。それが、ヨーロッパであろうと、アジアであろうと。東アジアにおける力の均衡を維持するアメリカの関心は、少なくともルーズベルト大統領の時代にまでさかのぼる。彼は1905年にロシアと日本の和解を仲介したマハンに非常に影響を受けた。1930年代のアジア大陸における日本の領土拡張は、中国の市場開放というアメリカの国益と衝突し、またフィピンを脅かした。
ソビエト連邦の崩壊は、中国の主な戦略的脅威を取り除き、それによって中国のアメリカに対する戦略的依存も取り除いた。中国とアメリカは、決して本来の戦略的パートナーでは有り得ない。モスクワの増大する膨張と野心によって、1970年代に便宜上連合しただけの本質的には地域戦略的敵対者である。問題は、北京の政権の性質である。内部に力の独占をする政権は、力を外国に向けるのを常とする。