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オーストラリアは海上防衛が必要な島である。なぜなら、本当に自主防衛するための工業能力や人口が不足しているからである。卓越した世界的海軍力を誇るアメリカとの同盟は、オーストラリアに最適の安全保障をもたらす。日本にとっても、その事情は同じである。

オーストラリアの海上貿易における依存は、その歴史と同じく、海事防衛の必要性を証左している。ニューサウス・ウエールズの植民地は、ブリタニアが海を支配していたときイギリス海軍によって発見された。最初の四人の総督は海軍士官だった。オーストラリアの海上安全保障に対する必要性は、1942年2月のシンガポール陥落に遡る。生命線ともいうべき海峡が閉鎖されたことで、オーストラリアはイギリスから孤立し、侵略への門戸を開いたわけである。アメリカ海軍によって戦われたガダルカナルの戦闘は死活的に重要であった。なぜなら、ソロモン諸島は、アメリカ大陸とオーストラリアの東海岸を繋ぐシーレーンを横切る位置にあるからである。同様に、珊瑚海とミッドウェイの戦いもまた、オーストラリアの防衛において分岐点となった。ここは、後に日本を跪かせたアメリカ軍の基地として機能することとなった。

1970年代の孤立主義者の考えは、歴史の3つの基本的教訓を見逃した。第一の教訓は、危険は距離と共に遠のかないということである。第二の教訓は、オーストラリアは侵略の必要性なしに傾いたということである。第三の教訓は、オーストラリアの安全保障は、いつも世界的な軍事バランスによって決定されるということである。1942年の世界的な軍事バランスの崩壊は、日本に南方を攻撃する機会を与えることになった。力の不均衡は、オーストラリアの海岸から遠いところで起きたが、それは、オーストラリアの領域の攻撃へと繋がっていったのである。

 

世界的そして地域的均衡を形成するための同盟の価値

オーストラリアの安全保障の基礎的条件は、第二次世界大戦以来、大きくは変わっていない。なぜなら、太平洋は海上の戦域であり続けたからである。冷戦の間も、東アジアにおける超大国の競争は、おもに海上であった。ヨーロッパにおいては、海上に依存しているにも関わらず、それは大部分、大陸の競争であった。(二つの戦域の違いは、第二次世界大戦を繰り返すかのような戦略地勢的機能の差異であった)

オーストラリアは、国際紛争の源から離れているにもかかわらず、冷戦の間も、安全保障の現実に目を背ける態度を採らなかった。オーストラリアは、国際社会と調和する側にウェイトを置き、そのことによって冷戦の勝利に貢献した。敵側との戦いを支援することことによって、結果的にオーストラリアは戦争の危機を減少させた。政策担当者は、オーストラリアが、敵意のある力によって左右される世界において、生き残ることは難しいと認識した。たとえ、オーストラリア自体が侵略されなくとも。

 

 

 

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