同様に、南太平洋非核地帯構想は、アセアンに、長年にわたる東南アジア非核地帯構想を促進する効果をもたらした。もともとは、中国とインドを牽制するために計画されたものだが、この非核地帯構想は、東南アジアの安全保障が究極的に依存しているアメリカ海軍の機動力を抑制する可能性がある。
1994年に、オーストラリア防衛白書は、こう述べている。オーストラリアは、拡大された核抑止力に依存し続けるだろうが、それは核兵器の全面禁止が達成され実質的な確認規定が伴われるまでの暫定措置としてだけであると。外交プロセスにおけるこのような信仰は、愚かなものである。アメリカが本当に核兵器を廃棄すること以上に、オーストラリアの戦略的安全保障を弱めるものは何もないという事実を無視している。もし日本がアメリカの抑止戦略には、もはや依存しないと考え、独力で防衛することを決めれば、どのようにオーストラリアの安全保障が進歩するかは考えにくい。非核・反核を掲げるオーストラリア(と日本)の人々は、彼らが望んでいる事に注意深くあるべきだ。
「地域的取り決め」と「独立」
東南アジアにおける「地域的取り決め」は、戦略的思考を混乱させている。これは、決して新しいものではなく、またそれ自体別に悪いものでもないが、労働党政府(1983-1996)の何人かの人々にとって、地域的取り決めはアメリカとの同盟の代替物を意味していた。アセアン地域フォーラムは、安全保障問題の万能薬として称えられた。「地域的取り決め」の提唱者達は、オーストラリアがアメリカから「独立」すれば、「尊敬」されるだろうと論じた。しかし、真実より先にあるものはない。アセアンは声をそろえて叫んではいないが、オーストラリアがアメリカの同盟国の一つであるからこそ、オーストラリアを安全保障のパートナーであると位置づけているのだ。
「独立」に関して言えば、フィリピンを見るべきだ。スービック湾からアメリカ海軍を追い払うことによって、フィリピンが求めた「独立」を達成することによって、彼らは中国を南シナ海に招き入れる大きな手助けをしたのである。現在、彼らは、中国をこの上ない状態で「自由」に扱える。アメリカとの同盟の代替物として「地域的取り決め」を提唱したオーストラリアの人々は、国際的安全保障の本質的な事実を把握するのに失敗した。「独立」は、不愉快な地域的覇権に適合することよりは、良性で離れた力と共に同盟の枠中において達成されるということを。彼らは、オーストラリアの安全保障の海上における基礎的条件をも理解しなかったのである。
オーストラリア安全保障の海上における基礎的条件
日本の切迫した課題は、安全保障問題を無視することはできないということを、他のいかなるものも、これに代わることはできないという事実を、国民に悟らせる事である。オーストラリアの当面の課題は、空想的な「自主防衛」構想という時代遅れで混乱した戦略構想を捨てる事である。オーストラリアも日本も、海上における基礎的条件を踏まえた戦略的思考を構築しなければならない。