核アレルギー
南太平洋におけるフランスの核実験に対する反対運動は、オーストラリアとニュージーランドの反核感情をあおった。「平和」運動家は、ソビエトの覇権構想ではなく、むしろアメリカの核兵器こそが、安全保障に対する本当の脅威であると人々を確信させようとした。
広大な海の離れた片隅で生きているためであろうが、南太平洋の「平和」運動家は、海軍力としてのアメリカがソビエト連邦を抑止しているのであり、アメリカは、ユーラシア大陸の両端の同盟国を守る為に核兵器と海軍の機動性の両方を必要としているという、世界的な均衡の基礎事実を理解できなかった。モスクワは、明らかに、南太平洋を無関係だとは考えていなかった。それは、核兵器とアメリカ海軍の機動性をターゲットとした「平和キャンペーン」への支援によって証明された。
国内にアメリカの施設を持たないニュージーランドは、アメリカの同盟国として、わずかな危険を犯しただけだった。ところが、オーストラリアは米軍との共同防衛施設を持っているため、核兵器に対して潜在的に攻撃されやすくなったわけである。しかし、オーストラリアの施設にはアメリカの核戦略が依存している。つまり、アメリカもまた危険を犯していると理解しているオーストラリア人はほとんどいなかったようである。仮に敵意のある政府が、ある日突然、おそらくは重大なときに、これらの施設を破壊したら…。
ニュージーランドは、1986年にANZUS連合から離脱し、核兵器を搭載している艦船の入港を拒否した。これに比べれば、オーストラリアの労働党政府は、よりすぐれた政治手腕を持っていたことを証明した。オーストラリア元首であるフランクは、共同施設について、より大きな扉を開くことによって反核感情を中和し、演説の中で、基地の戦争抑止効果について強調したのである。
しかし有権者の反核感情を静めるために、重要な譲歩がなされた。それは、南太平洋非核地帯構想(SPNFZ)である。この南太平洋非核地帯構想は、オーストラリア労働党の強力な左派の反核感情を中和しようとする象徴であった。この条約は核搭載艦船の寄港を認めるかどうかについて、個々の判断を待つ余地が認められていたが、それでも、南太平洋非核地帯構想はワシントンで大きな関心を呼んだ。冷戦を定義した地理的戦略環境からみれば、アメリカ海軍の機動性が制限されたことにより、モスクワは利益を享受することになった。
実際、南太平洋非核地帯構想の創造は、労働党所属の外務大臣であるエヴァンス上院議員に、南半球非核地帯構想(SHNWFZ)を提案させる要因の一つとなった。そのような非核地帯は、恐らくインド洋のディエゴガルシア島を含むだろう。それは、湾岸におけるアメリカの戦略にとって、欠くことのできないアメリカの軍事施設を持つ、イギリスの信託統治地域である。