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中央オーストラリアにおける、アメリカとオーストラリアとの間の、情報収集のための共同施設は、冷戦終結後も何一つ重要性を失わず、改良されている。実際、これらの施設は、日本と韓国が共に、戦域ミサイル防衛構想に進むとき、地域的安全保障において新しい役割を持つかもしれない。過去、オーストラリアは朝鮮、ベトナム、湾岸戦争に軍を送った。1998年2月にイラクが騒然としたときオーストラリアは、SAS軍を送る準備ができていた。そして1998年12月にアメリカ、イギリスのサダム・フセイン政権に対する懲罰攻撃に賛成した。オーストラリアは1996年、つまり、中国が、最初の大統領選挙を行っている台湾を威嚇する目的で、台湾海峡へミサイルを発射したとき、初めて中国を公然と批判した唯一の地域国であった。その時、オーストラリアの国防大臣は、「台湾への脅迫行為は、不幸な結果を招くかも知れない」と中国に警告したのである。

1995年、オーストラリアは、インドネシアと共に、ある新しい戦略連合に入った。それは、南シナ海における中国の増大する戦略的圧力に抵抗するため、両国の決心によって促進されたのである。オーストラリアは、1996年の日米協力の向上(日米安保共同宣言)を、地域的安全保障連合の中心であるとして支持した。同年、アメリカとの同盟関係は向上された。同盟国は、連立政権の強い支援を続けている。

オーストラリアは、その戦略的必要性に見合う海上戦略を構築させなければならない。オーストラリア防衛軍は、大陸防衛に縛られているため、その力を大陸を超えて行使できない。このため、潜在的脅威に利益を与え連合国の責任分担に貢献する上でのオーストラリアの信頼性の足元を揺るがせている。

オーストラリアはまた、防衛予算をGNPの2%に押さえた、安価な防衛を求めている。この方向は、孤立主義者的本能に根差す混乱した戦略的思考から生じている。

オーストラリアの戦略論争は混乱している。なぜなら、それは、防衛と安全保障を混同し続けているからである。防衛は、侵略の危険に焦点を置く。他方、安全保障は、出所はなんであれ、政策選択を無理に制限する威嚇、脅し、その他の圧力による圧迫からの自由を含む広い概念である。オーストラリアにとってその様な圧迫は、地理的に遠いものかもしれない。例えばヨーロッパにおけるドイツや、ユーラシア大陸におけるソビエト連邦の覇権の追求の様に…。

 

混乱した戦略構想と孤立主義者的本能

閉鎖主義者的考えは、1960年代後半にオーストラリアで再浮上した。それは、ベトナム戦争の結果における連合軍の巻き添えに失望したからであった。現在は、「自主防衛」の考えはない。しかし、それは1920年代以来あった。それは、第一次世界大戦のすさまじい犠牲に対する反応として現れた。彼らは、遠い帝国の利益の犠牲者だったという信念として…。

ベトナムからの撤退を決めたニクソン大統領は、1969年に、アメリカは同盟国に核の傘を与え続けると宣言した。

 

 

 

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