しかし、問題はもっと複雑であり、船腹の逼迫による輸送コストや保険料の上昇によって、マラッカ海峡や南シナ海の東南アジアSLOCsの持続的な遮断は、世界経済に破滅的なダメージを与える(4)。
その一方で、マラッカ海峡や南シナ海の東南アジアSLOCsの遮断に対しては、それに代わるSLOCsが確保されていることによって、最悪の事態を緩和することができる。そこで、次にこれらの代替SLOCsの確保にもっとも関係の深いインドネシアの状況をみる。
2 インドネシアの地位
(1)政治・経済の特色
インドネシアは、赤道をはさんで北緯6度から南緯11度の間、東経95度から141度の間に位置し、ほぼヨーロッパ大陸に匹敵する広大な海域に所在する1万3000余の島々からなり、そのうちの3000の島々に住民が住む世界最大の群島国である。これらの島々は、南北1888キロと東西5110キロの範囲に広がり、その面積は、日本の約5.2倍の191万9443平方キロである。また、人口は約2億人で、その中には、300以上の民族集団が存在し、250以上の言語が日常語として使われている。このように、インドネシアは、多様性に富んだ複合多民族国家である(5)。
インドネシアは、ヴェトナムと並んで、植民地時代の旧宗主国からの独立戦争を経験している。また、国軍が、独立の達成以降も、インドネシア共産党(PKI)による9・30事件、ダルル・イスラム運動による反乱(6)やPRRI・パーメス夕の反乱(7)などの分離主義・独立運動のような深刻な国家の分裂の危機を乗り越えて、国内の統一と安定を達成できたことは、インドネシアの経済発展のための重要な前提条件であったといえるであろう。
(4)Noer,op.,cit.,Chapter 3. What if Southeast Asian SLOCs close?を参照
(5)綾部恒雄・永積昭、『もっと知りたいインドネシア』、弘文堂、1982年、37〜42ページ
(6)1949年、カルトスィリョは、インドネシア・イスラム国家の成立を宣言した。また、1952年には南スラウェシでカハル・ムザカルが、1953年には北部スマトラのアチェでダウド・ブルゥが、ダルル・イスラム運動と称してイスラム国家建設の武力闘争に訴えた。
(7)1958年、元蔵相のシャフルディンを首班とするインドネシア共和国革命政府(PRRI)の樹立がスマトラで宣言された。また、北スラウェシでは、1958年9月、ヴェンティエ・スムアル中佐が全面戦争(パーメスタ)を宣言し、中央政府と対立した。